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2009年8月2日 [戦国武勇伝]

2009年7月19日の記事で書きました「シミュレーション・ゲーム界への初心者勧誘などとという大それた意図があるわけではなく」という記述について、同記事のコメント欄で「これは初心者の勧誘には興味がない、というふうにも受け取れますが、そうなんでしょうか?」とのご質問をいただきました。今回は、SGダディ さまのご質問への返答も兼ねて、この辺りの問題についての私の考えを述べたいと思います。少し長くなりますが、最後まで読んでいただければ幸いです。

紙製の地図と紙製の駒を使ってプレイする形式の「紙製シミュレーション・ゲーム」というホビーに、今から新規の顧客を招き入れるというのは、私が改めて指摘するまでもなく、かなり難しいチャレンジだと思います。きちんとした統計をとったわけではないので、私が直接・間接にプレイヤーの方々とやりとりした感触に基づく推測ですが、現在この種のゲームを趣味としている人間のほとんどは、前世紀、おそらく1970~80年代に「紙製シミュレーション・ゲーム」を知り、「これこそ自分の求めていたものだ」という強い魅力を感じて、このホビーに参入した人ではないかと思います。

ある特定の人間が、たくさんあるホビーの中から特定の分野を選んで、大事な時間と労力をそのホビーに注ぎ込む時には、まず第一にその人が魅力と思える「何か」が、そのホビーの中に存在している必要があり、第二に「(価値が)存在している」という事実を、その人自身が「知る」必要があります。最初から、その人が魅力を感じる「何か」がそのホビーに存在しなければ、その人が手を染めることはあり得ませんし、仮に存在していたとしても、その人が何らかの形でそれを「知る」ことがなければ、やはりそのホビーを始めることはないでしょう。

以前に本ブログでもご紹介しました、田村さんのサイト「XoD」で書かれているところの「観客とソムリエ」という概念は、上の二つの要素をどのようにして「(紙製)シミュレーション・ゲーム」をまだ知らない、潜在的な新規参入者に伝達するかを、わかりやすく説明した問題提起であると思います。そして、第一と第二の要素が満たされた後の「第三の要素」として、あるホビーが他のホビーとの比較という面で、自分の求めている「何か」にいちばん近いという確信がなければ、その人はそのホビーではなく、より自分の求めている「何か」を満たしてくれそうな別の選択肢を選ぶことになるでしょう。

当然のことながら、このような判断を下す上での選択肢の幅と内容は、時代と共に大きく変化しており、私が(紙製)シミュレーション・ゲームを始めた28年前と現在とでは、競合する「ライバル」の顔ぶれもかなり違っています。1980年代の前半、(紙製)シミュレーション・ゲームが一種の「ブーム」として一般社会に受け入れられた最大の理由は、歴史や(創作)小説、アニメなどの物語の中で繰り広げられる「戦い」ないし「競合」を、当時存在したホビーの中では突出して「リアルに再現しているとプレイヤーが感じられる」ホビーだったからではないか、というのが、私の認識です。つまり、当時は事実上「ライバルがいない」という、並外れた「幸運」に恵まれた環境にあったわけです。

私が最初に購入したシミュレーション・ゲーム「スコード・リーダー」は、TVシリーズ「コンバット」などで描かれているような、第二次世界大戦期の歩兵戦闘を、当時の選択肢の中ではいちばん「リアルに再現していると感じられる」ものでした。その頃はまだ、家庭用ゲーム機はそれほど進歩しておらず、携帯用ゲーム機もあらかじめパターンの決まった液晶画面を見ながらボタンを押すタイミングを覚えるだけの遊びで、市街地の街路で軽機関銃を撃ち合ったり、森を迂回して敵が籠もる塹壕陣地の右翼に接近したり、バズーカ砲でドイツ軍のIV号戦車を近距離から撃ったり、といった「リアルな」戦いの再現とはほど遠い代物でした。

そんな中で知った(私は『ホットドッグ・プレス』という雑誌に出ていたシミュレーション・ゲームの特集記事でこのホビーを知り「おもしろそうだ」と好奇心をかき立てられました)、紙の地図と駒を使って遊ぶシミュレーション・ゲームは、歴史上あるいは物語の中での戦いを目の前でリアルに再現したいという私の欲求を満たす「何か」を備えた、いわば「唯一かつ最上の選択肢」でした。

しかし現在は、残念ながら上のような想定は成立し得ない状況にあります。歴史あるいは小説などの物語の中で繰り広げられる「戦い」ないし「競合」を「リアルに再現していると感じられる」ホビーは、紙の地図と駒を使って遊ぶシミュレーション・ゲーム以外にも多種多様に存在しており、むしろ同種の選択肢の中での(紙製)シミュレーション・ゲームの地位(一般の人に選ばれる順位)は、かなり低い方に属するような印象を受けます。正直なところ、もし私が現在中学生だったとして、紙の地図と紙の駒を使って遊ぶシミュレーション・ゲームを買うかどうかと聞かれれば、その魅力を知ることのできる(前記した紹介記事のような)何かと出会っていたとしても、果たしてこのホビーを選んでいるかどうか、確信が持てません。

例えば、特定の戦闘機をリアルに操縦している感覚を味わいたい人なら、性能が飛躍的に向上した家庭用のゲーム機で自由自在に「空を飛んでいる感覚」を味わえ、また「敵の戦闘機と戦っている感覚」も手軽に(三次元のGフォースを別にすれば)再現できます。ガンダムの世界で自分の好きなモビルスーツを操縦している感覚を味わいたい人なら、大きなゲームセンターに行けば、コクピットのようなカプセルにスッポリ入って、馴染みの戦友や初対面の「同好の士」と一緒に、敵と戦うリアルな体感を得ることができます。第二次世界大戦期の歩兵戦闘や戦車戦をリアルに再現できるゲームソフトも、機器に合わせていろいろなものが出ています。

シミュレーション・ゲームの「初心者」あるいは「初心者向け」ゲームという言葉は、シミュレーション・ゲームの「ベテラン」である自分との「対比」という意味においてのみ成立する(従って本来は内輪でしか通用しない)、いわば相対的な言葉です。しかし、どんなホビーでもそうですが、人が何かの趣味を始める時には、そのホビーの「初心者」になりたいと思っているわけではありません。自分の中にある、特定の欲求を満たしてくれる「何か」がそのホビーにあるかどうか、それが一番大事なことであり、そのホビーの世界に人が足を踏み入れるか否かを左右する「動機」となります。その人にとっては、「初心者」とか「ベテラン」とかいう経験上の分類は意味を持たず、ただ「自分の欲しい何かを満たせるかどうか」が、判断の基準となるわけです(この次に、おそらく経済的要素や時間的要素が判断の基準として介在してきます)。

従って、(紙製)シミュレーション・ゲームというホビーに、新規参入者を勧誘するためには、昔は存在しなかったような強力な競合相手(ライバル)と戦って勝ち、ユーザーに選んでもらう必要がありますが、第三者的視点で考えれば、そのような勝負にはほとんど勝ち目が無いように見えます。この25年間で、情報伝達の速度がどれほど変化したか、そしてコンピュータによる各種の(ゲームプレイにおける)アシスト能力がどれほど飛躍的に発達したかを考えれば、この25年間内容面でほとんど変化のない、(紙製)シミュレーション・ゲームのプレイおよびその前段階である「ルール理解」と「プレイ方法の習熟」に要する時間は、相対的に「長くなった」とさえ言えるからです。

特に、コンピュータがゲームの骨格に属する手続きをプレイヤーの代わりにやってくれるかどうかという点は決定的で、ゲームの骨格に属する、スタック制限やゲーム手順などのいわゆる「構造ルール」から毎回頭に叩き込まないとプレイできない(紙製)シミュレーション・ゲームは、プレイヤーへの負担の大きさという点で、きわめて敷居が高いホビーだと言えます。我々が(紙製)シミュレーション・ゲームのプレイに費やす1時間というのは、おそらく現代の中学生や高校生にとっては3時間ないしそれ以上に感じられるのではないかと思います(あくまで想像ですが)。

こうした状況を考えれば、「新規参入者を勧誘するためにルールの簡単な入門用ゲームを出す」という単純な思考パターンは、一種の落とし穴というか、過去の成功体験に縛られた、現在の時代には通用しない方法論ではないかと思うわけです。「新規参入者」を勧誘するために必要なのは、見栄えのパッとしないチャチな「入門用ゲーム」ではなく、(紙製)シミュレーション・ゲームにはどんな魅力(他の似たようなホビーにはない特別な魅力)があるのか、(紙製)シミュレーション・ゲームをプレイすることで、どんな種類の知的能力を身につけられるか、といった、(紙製)シミュレーション・ゲームだけが持つ「魅力」を、わかりやすく効果的に説明する努力ではないかと、私は考えます。そうした「魅力」に興味を抱いた人が一般人の中から現れた時、初めて「日本機動部隊」のような、新規に始める人への配慮が隅々まで行き届いたゲームの出番となるわけです。

以上のような意図により、私は「新規参入者の勧誘というのは、ルールの簡単な入門用ゲームを出せば一定の効果が得られるというほど、甘いものではないのではないか」との文脈において、「シミュレーション・ゲーム界への初心者勧誘などとという大それた意図があるわけではなく」という表現を使いました。今後も、「戦国武勇伝」の制作に際しては、「入門用」云々という言葉はできるだけ使わず(もちろん入門者を拒絶する意図は全くありません)、あくまで「(紙製)シミュレーション・ゲームの愛好家が、家庭内でプレイできる(そして、それにより家庭内でのこのホビーに対する有形・無形の圧力を和らげ、愛好家がこのホビーを今後も続けやすくする)ゲーム」の創出を目標に、開発を続けていこうと思います。

私は、これまで(紙製)シミュレーション・ゲームの将来を憂えて、独自に新規参入者獲得の努力をしてこられた方々に対して、最大限の尊敬と(1愛好家・1業界人としての)感謝の念を抱いています。ただ、このホビーが現在置かれている状況を業界の「内」ではなく「外」から第三者的に眺めれば、「ルールの簡単な入門用ゲームを出せば、新規参入者がそれを見て入ってきてくれる」という(固定観念にも似た)思考パターンからいったん離れないと、本当に有効な(つまり長続きしてこのホビーを楽しんでくれるような)「新規参入者の勧誘」は実現できないのではないかと、私は思いました。

こういう文章を書くことで、おそらく少なくない「同好の仲間」に不快感を与えてしまったかと思いますが、あくまで問題の建設的解決に向けた私見の表明ということで、ご容赦いただければ幸いです。もちろん、私は自分の考えが絶対に正しいとは思っておらず、見落としや誤解、思慮の不足などもあるかと思いますので、これは違うんじゃないか、と思われた方からの異論や反論も、ぜひお聞かせいただければ、と思います。
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takoba39714

>まず第一にその人が魅力と思える「何か」が、そのホビーの中に存在している必要があり、第二に「(価値が)存在している」という事実を、その人自身が「知る」必要があります。

 ですよねえ。
 少なくともSLGに今もってしがみついている私たちには、この(価値が)見えている筈なのですが、残念ながら語る言葉を持っていないのではないかと。
 
 だから、「簡単なルールのゲームを用意するから、後はご自身で価値を私たち同様見つけて下さい」的な方法論に陥ってしまうんでしょうねえ。

by takoba39714 (2009-08-02 21:42) 

SGダディ

わたしの質問にていねいなご回答をいただき、恐縮です。かつての「ウォーゲーム・ブーム」とは、幸運に助けられた度合いの大きい「常識外の大勝利」、二度三度と通用するものではない、との説に同意します。当時と今とでは、状況がまったく違うことを認識して、新たな時代に即した対処法が必要になるわけですね。

「家庭内でのこのホビーに対する有形・無形の圧力を和らげ」ていただける新作ゲームの完成を楽しみにしています。不躾な質問で恐縮ですが、もしかして、山崎家でも「圧力」が存在するのですか?(笑)
by SGダディ (2009-08-02 23:40) 

Mas-Yamazaki

takoba39714さま: コメントありがとうございます。ご指摘のとおり、(紙製)シミュレーション・ゲームの「魅力」や「醍醐味」を、うまく言葉で表現するのはとても難しいことだと私も思います。「歴史への興味」や「勝負師のジレンマ」、「智謀のせめぎ合い」など、いろいろな魅力が多層的に重なり合っているホビーなので、それを丁寧に表現するとどうしても文章が長くややこしくなってしまい、説明を読む側は「そんな面倒なゲームいいよ」と敬遠することにもなりかねません。

ただ、takoba39714さんや中黒さんをはじめ、スケールモデルの愛好家と(紙製)シミュレーション・ゲームの愛好家が部分的にだぶっているというのは、おそらく両者に共通する魅力と何か関係があるのではないか、と思うのですが。私は今にして思えば、(紙製)シミュレーション・ゲームを知ったのを境に、スケールモデルを作るのをやめてしまったのですが、私が模型作りに求めていた「何か」が、(紙製)シミュレーション・ゲームにはより豊富に含まれていたということなのかもしれません。

まぁ、今すぐに何か結論を出す必要があるわけではないと思いますし、こうやって意見交換をすることもそれはそれで楽しいことなので、このホビーを我々自身が最大限に楽しみながら、何かよい答えが見つかるまで頭の片隅でいろいろ考え続けたいと思います。
by Mas-Yamazaki (2009-08-06 20:02) 

Mas-Yamazaki

SGダディさま: コメントありがとうございます。

>>山崎家でも「圧力」が存在するのですか?(笑)

いやいや(笑)、うちはかなり良好な環境だと思いますよ。石田さんとのテストで、一日中リビングの大きなテーブルを占領していても文句を言われないですし。ただ、戦車とか戦闘機などの、露骨な「兵器」は好きではないようですが、ドラマの「天地人」は一緒に観ており、戦国の合戦くらいなら一緒に遊んでくれそうな雰囲気なので、そういうゲームをひとつ作ってみようか、と思ったわけです。今月は文庫本以外の仕事は(息抜きのブログ更新を別にすれば)できないと思いますが、これが終わったら本格的にテストを始めるつもりです。
by Mas-Yamazaki (2009-08-06 20:09) 

田村@香港

拙文ですが、今になって読み返すとあまり出来が良いとは思えないので、補足を。
あらゆる趣味は、それを知っている人>それを他人がするのを見る人>それを自分もする人、という具合に人数が減ってゆくもので、現状、日本のSG界は、プレイするしない云々以前に、そもそもこういう物が存在するということ自体、知られていないか忘れ去られてしまっているのだから、まずはこういう物が存在するということを広く知らせる方法を考えるべきであり、逆に、広く知らせることに成功しさえすれば、後はその中からプレイしたがる人が勝手に現れてくる、と、私自身は思っています。
しかし、この、広く知らせる方法、というのが厄介な訳で。
「ワイアード日本版」や「サイゾー」の編集長として辣腕を振った、こばへんこと小林弘人氏の「新世紀メディア論 新聞・雑誌が死ぬ前に」を最近ようやく読んだのですが、本書によれば、誰でも手軽に情報を発信できる「誰でもメディア時代」が到来した今、特定の情報に多くの人々のアテンション(注目)を集めさせることは困難になる一方であり、それゆえに、アテンションの獲得をめぐる競争は激化する一方で、どうやったらSGというものが存在する、ということを広く知らせることが出来るのか、私自身、いまだ妙案が思い浮びません。
by 田村@香港 (2009-08-07 20:26) 

Almera WRC

 長文、乱文なのと若干このエントリーの趣旨と離れていきますがご了承を…。

 自分がSLGに手を出したのはツクダの「JABRO」で26~7年ぐらい前ぐらいになるかと思います。元はといえばアニメのゲームから入っていったわけですが、その後は主にアニメ系と架空戦,現代戦のゲームに手を出していました。
 約20年ぐらい前の大学生に頃に同好の友人が何人か出来、何人かの別の友人を引きずり込んだりしていますが、当時初心者でもビッグゲームを何人かで分担してプレイしたこともありますし、経験者がアニメ原作の簡単なゲームをプレイしたりもしていました。
 ある時友人に誘われてとあるサークルの集まりに参加をしましたが、そこに行くとベテランと称される方々が「WAR IN EUROPAがどうのこうの。」やら「WWIIのドイツ軍が云々。」といわれ、アニメや架空戦は邪道だと言わんばかりの勢いだったことを記憶しております。
 無論他のサークルや会合には行ったことがないので当時、そして現在どういう雰囲気で会合が行われているのか分かりませんが、架空戦、アニメものを中心にプレイしていた私にとっては非常に不快であったことは確かで、その直後ぐらいから忙しくなりだしたこともあり、紙製のゲームのコレクターではあっても実際に多人数でプレイすることがほとんど無くなっております。

 先の経験からレッテルを張って敷居を上げて新規参入者を阻んでいるのは実は中にいる人たちではなかろうかと思う時があります。入門用ゲームと謳うことで結局は自分たちの中で無意識のうちに差別化を計っているのではないでしょうか。別にベテランと称される人が入門用とされるゲームをプレイしても、初心者がそうでないゲームをしても良いわけで、そういう意味では入門用と謳わない、その一方でルールが簡潔なゲームを製作されるというのは非常にすばらしいことだと思います。そしてそもそも入門用のゲームであるか否かというのは製作サイドが判断するものではなく、プレイする側が判断すべきものだと考えます。そういう意味で今回のゲームの製作があらゆる面で成功を収めることをお祈りしております。
by Almera WRC (2009-08-08 15:59) 

Mas-Yamazaki

田村さま: コメントありがとうございます。まず始めに「存在を知らしめる」のが重要というご指摘は、まさにそうだと思います。ただ、単にプレイしている風景を見せるだけでは、スルーされてしまう可能性が高いので、やはり何かしら簡潔で要点を押さえた、キャッチコピーのようなフレーズがないと、興味の取っ掛かりにはなりにくいでしょうね。

「ワイアード日本版」は、私も当時大好きで、毎号楽しみにして読んでいました。企業の利益追求そのものを「悪」と見なす左翼的な価値判断基準とはまったく違う視点から、日本の企業やそれを取り巻く社会構造に茶々を入れ、隠したがっている事実をいたずらのようにサラッと書いてしまうクールな編集方針が魅力でした。ライセンスの関係からか、誌名が「サイゾー」に変わり、編集長が「こばへん」氏から現在の人に交代してからは、だんだんと芸能ゴシップ系の記事(J事務所の内幕がどうしたとか)が多くなって、もう購読するのをやめてしまいましたが、雑誌「Pen」の一号前の企画「プロが選ぶ究極の1冊。」という特集記事で、ひさびさに「こばへん」氏の顔を拝見し、私も「新世紀メディア論」を買ってみようかと思っていたところでした。

話が逸れました(すいません)。XoDの新しい記事を楽しみにしています。あと、香港で中越戦争のゲームを探していただけるとのこと、恐れ入ります。特に急いで必要というわけではありませんので、気長に探すつもりです。また何かおもしろい土産話でもあれば、ぜひお聞かせください。
by Mas-Yamazaki (2009-08-10 18:44) 

Mas-Yamazaki

Almera WRCさま: コメントありがとうございます。このホビーの世界の「中にいる人間」が、新規参入者を阻む「敷居」を上げているのではないかとのご指摘は、残念ながら否定できない部分が少なからずあると、私も思います。

現在では、ある程度ホビーの構成員が大人になったこともあってか、多種多様なスタイルのゲームを同等に(というか、それぞれのスタイルに合った姿勢で)楽しもうという余裕も出てきたように感じられます(主観です)が、若い頃はみんな自分のスタイルが一番だと思っていて、序列を作って上下関係を勝手に決めたりするような発言も、珍しくはなかったように記憶しています。また、ゲームプレイを通じて相手プレイヤーと知力を競うという、このホビーの性質とも多少は関係があるかもしれませんが、ゲームで相手に勝つのと同じ感覚で、相手の価値判断を理論で打ち負かすような「なんとか論争」も、人によっては不快感を覚える行為だったのかもしれません。

自分が価値を認めるものを「誉める」という行為を補強するために(あるいは「誉める」という行為の代わりに)、自分が価値を認めない(理解していない)ものを「貶す」あるいは「蔑む」というのは、このホビーに限らずどの世界でもしばしば見られる、人間の(おそらくは無意識による)問題行動だと思います。また、知識というのは、自分の能力を高めたり豊かにしたりしてくれる半面、自分以外の他者を威圧したり、武器のように誰かをやっつけたりすることもできる、危険な道具でもあります。

本人には悪気が無くても、ふと漏らした言葉によって、周囲の人が不快に思ったり、その場所にはもう行きたくないと感じたりすることは、社会生活の中では多々あると思いますし、私も気づかないうちに上記したような「問題行動」を行っている可能性があります。こうしたことを自覚して、何かを誉めたり認めたりする時に、当たり前のように「別の何か」を引き合いに出して悪く言ったり、自分とは異なる価値判断基準の存在を無視するような思考に陥らないよう、私も気をつけたいと思います。

「戦国武勇伝」のデザインに関しては、ご指摘のとおり「ベテラン」とか「初心者」「入門用」というような区分とは全く関係のないコンセプトで制作を進めるつもりです。またまだ道は長いですが、ぜひご期待いただければと思います。
by Mas-Yamazaki (2009-08-10 19:08) 

Sgt_Sunders

私はウォーゲームを何とか後世に残したいと考えています。「20世紀文化のあだ花としてこんなゲームが存在した」で構いません。(小さな野望)

江戸時代の庶民の楽しみ-今でいう週刊誌やアイドル写真集の類-であった浮世絵は、現在では美術品として評価されています。
多くの書籍は読み捨てれられてしまいますが、偶然でも損壊を免れ月を経れば、古書として時代文化の記録として価値を生んできます。

直感的に生け花や囲碁のように人々にプレイされる形で引き継がれていくことが一番望ましいとは思いますが、風俗史料として保存されるだけでも骨董としての価値が生じるのではないでしょうか。

そこでゲームが我々の世代の灰ととも吹き飛ばされてしまわないために、最低限のことなのですが、なるべく良い状態を保ちで、系統立てて保存されることが重要だと考えています。デジタル記録が基盤になると思いますが、それに伴って紙製オリジナルの価値も高められることになるでしょう。

そのような整備保存を進めることにより、数百年後の教科書に20世紀文化の巨匠としてダニガン氏や鈴木銀一郎氏の名前が登場するかもしれませし、山崎流ゲーム道が年に一度、継承者によってプレイされ続けることになるかもしれません。(大きな野望)

by Sgt_Sunders (2009-08-12 18:56) 

Mas-Yamazaki

Sgt_Sundersさま: コメントありがとうございます。ウォーゲーム(紙製シミュレーション・ゲーム)は「文化」の一つだと、私も思いますし、いずれ我々の想像もしなかった視点から再評価される可能性もあると思います。

商品としてのゲームを出す立場としては、地図やチャート、カウンター・シートなどのコンポーネントで、あまり安い紙を使わないというのが、長期保存にも配慮した方策となりますが、ただその一方で、せっかく買って下さったプレイヤーの方々には、マップとユニットがくたびれるほど愛着を持って遊んで欲しいという気持ちもあるので、なかなか難しいところではあります。

まぁ、ほんとうに再評価される時代が来るかどうかは、我々自身がこのホビーの魅力をどこまで理解して読み解けるかにもかかっていると思うので、今後もいろいろな形で、このホビーに関連した活動を続けていこうと思っています。
by Mas-Yamazaki (2009-08-13 17:58) 

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