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2010年1月21日 [その他(映画紹介)]

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先日、以前の記事でご紹介したアンジェイ・ワイダ監督の映画『カティンの森』を観てきました。今日は、その感想を少し述べてみることにします。「ネタばれ」というほどではないにせよ、内容について触れている箇所がありますので、まだ御覧になっていない方は、くれぐれもご注意ください。

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観賞後、天気が良かったので同じ建物(梅田スカイビル)屋上の空中庭園に昇って、淀川周辺の風景をぼんやり眺めながら、映画の内容を自分なりに咀嚼しました。ソ連の内務人民委員部(NKVD)の手で、ポーランド軍将校が次々と虐殺されるシーンは大変ショッキングでしたが、その「虐殺」自体をテーマにしているわけではなく、ポーランドという国が抱える地理的な「宿命」(ロシア/ソ連とプロイセン/ドイツに挟まれた位置から永遠に逃れることができない)や、残された家族のそれぞれが心に抱く希望や絶望、強靱なポーランド人の誇り、そして生き残った「元ポーランド兵」の葛藤など、幅広い問題がストーリーへと巧みに織り込まれており、ポーランドの歴史、特に第二次世界大戦期のポーランド史に興味のある方には、強くお薦めしたい作品です。

ご自身も騎兵将校の父をカティンでNKVDに殺されたワイダ監督にとって、この作品は恐らく「このテーマを撮るまでは死ねない」というくらいに、重大な題材を扱ったものだと想像します。しかし、81歳でついに完成させた『カティンの森』を見終わって、私が感銘を受けたのは、そうした背景や虐殺シーンの壮絶さにもかかわらず、特定の国や人種、民族に対する「怨念」のような暗い感情が、映像から感じられなかったことでした。

映画が終わったあと、劇場を出ようとすると、70歳くらいの白髪のおじいさん(私が観た回は午前10時だったためか、年輩の人が多かった)が「露助はひどいことしよる。満州でも同じことやりよった」とつぶやいているのが耳に入りました。ご自身かご家族の方が、1945年の満州でひどい目に遭われたのだろうかと想像しますが、映画の前半で登場した、母娘を匿って助けた将校が、ソ連軍の軍服を着ていたことに気づかれなかったのかもしれません。襟章で軍服の国籍を見分けられる人なんて少数派でしょうし、日本人がこの映画を観る時の問題として、似たような軍服を着ている兵士の区別がつきにくいという点があるかと思いました。

その「ソ連軍将校」の描き方が、私には強く印象に残りました。作品の中では、この人物が何者なのか、どういう経緯で母娘を匿っているのか、ほとんど説明がありませんが、ポーランド語で会話しているところから考えて、後にソ連軍元帥からポーランド国防相となるロコソフスキーらと同様、ポーランド系のソ連人だろうと推測できます。

そして、この将校は最後に、真剣な面持ちで、母娘に対してこう言います。

「私は自分の家族を救えなかった… あなた方を救いたい」

ソ連軍のポーランド侵攻は1939年でしたが、そのわずか数年前には、ソ連国内で「大粛清」と呼ばれる密告と虐殺の嵐が吹き荒れたことを、ご存知の方も多いかと思います。そして、ワイダ監督も当然、ポーランドの歴史だけでなく、戦後のポーランドを支配したソ連という国家(体制)の歴史についても深い知識をお持ちのはずです。たった数分のシーンですが、ワイダ監督は「カティンの虐殺」についての作品の中で、ソ連の「大粛清」の悲劇についても静かに示唆しています。

ロコソフスキーは、独ソ開戦前にスパイ容疑をかけられて監獄に入れられ、拷問で歯を全部折られるという苦難を味わっていますが、ポーランド系ソ連人であるこの将校の家族がどのような運命をたどったのか、映画では何も説明されていないので、我々は想像するしかありません(ニキータ・ミハルコフ監督の『太陽に灼かれて』を思い出します)。しかしワイダ監督が、カティンの森の虐殺について、決して特定の人種や民族だけの「罪」と見なして、復讐心を煽ったりする意志がないことを、この「ソ連軍将校」の描き方は物語っているような気がします。

戦争で完全に破壊されたワルシャワ旧市街(スタレ・ミアスト)を戦後に再建する際、ポーランドの人々は、余計なものは何一つ付け加えず、ただ「戦争前にあった風景を、壁の亀裂ひとつに至るまで、そのまま忠実に再現する」ことを選びました。この映画におけるポーランド軍将校の虐殺シーンも、まるでドキュメント作品のように、過剰な演出や効果を添加せず、実際にあったことだけを淡々と描くように進んでいきます。前記したワイダ監督ご自身の境遇から考えると、驚くほど抑制の効いた描写です。

「悪いこと」あるいは「間違ったこと」をした相手(対象)に対して、居丈高に正義や道徳を振りかざすという誘惑に打ち克ち、ただ事実を事実として、淡々と、自分の手が届く範囲で、後世の人間に伝承する。これは、歴史にまつわる原稿を書く仕事をしている私にとっても「あるべき姿勢」ですが、もし自分が家族が犠牲となっていたとしたら、その題材でここまで冷静に描けるかどうか。相当な覚悟と強靱な理性を求められる作業であることは確かです。

ワイダ監督が、このテーマでようやく作品を撮ることのできる「環境」が整うまで、事件の発生(1940年)から67年、第二次世界大戦の終結からでも62年もの時間が必要だったことになります。しかし、東欧民主化以前のポーランドにおける政治的抑圧という要素は別として、人生の年輪を重ねないと到達できない「心境」のようなものが、おそらく人間の心には存在するのではないかと想像します。もしワイダ監督が、30代か40代でこのテーマの作品を撮っていたなら、どんな作品になったのか、観てみたい気がする一方、今だからこそ、このような形での作品が完成したのだろうという気もします。

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なお、蛇足かと思いますが、現在発売中の『歴史群像』誌に掲載されている拙稿「第二次大戦ポーランド戦史」をお読みになった上で、この作品をご覧になると、登場するポーランド軍人、とりわけ終盤に出てくる「少佐」の境遇などについて、より理解が容易になるかと思います。同じ人物のはずなのに、なぜ言うことや態度が以前と変わっているのか、ポーランドの戦史についての多少の予備知識がないと、わからないのでは、という気がしました。残念ながら、劇場で販売されているパンフレットには、この点についての言及がほとんどないようです(唯一、年表で少しだけ触れられています)。
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東方のゲーム好き

「カティンの虐殺」と「大粛清」は、同根だとワイダは言いたかったのかも。どちらもスターリン体制下でNKVDがおこなった非道です。共産主義の思想的出発点は「私有財産をなくて富を公平に分配し皆が幸せになること」だったはずですが、それが実現可能かどうかは別問題として措くとしても、スターリン体制下の「共産主義」はそんな理想とはほど遠い「人間を虫けらのごとく軽視する」社会体制だったようです。
by 東方のゲーム好き (2010-01-24 17:28) 

Mas-Yamazaki

東方のゲーム好きさま: コメントありがとうございます。ワイダ監督の意図については、私も同感です。スターリン体制についても、あれを「共産主義と呼んだ上で」批判することには、かなり違和感があります。

私は決して「共産主義」思想を擁護あるいは弁護するつもりはありませんし、現実社会では機能し得ない、ある種の「ユートピア思想」だと思っていますが、それとは別に、スターリン支配下の恐怖政治や、毛澤東支配化の「文化大革命」、ポル・ポト支配下の自国民大虐殺などは、すべて「共産主義という名目下で行われたものの、本質的には共産主義思想とは無関係な、別の何か」ではないかと考えています。

言い換えれば、「共産主義」の思想とは、その高邁な理念とは裏腹に、特定の指導者を神のごとき地位に祭り上げる「個人崇拝」や、それに同調しない人間に対する「人権弾圧」や「大量虐殺」を生む土壌となりやすい「何か」を、他の社会思想よりも多く含んでいるような気がします。

その「何か」の正体については、私もまだはっきりとした答えが見えておらず、今後も仕事を続けながら考えていこうと思っています。
by Mas-Yamazaki (2010-01-28 18:10) 

Sgt_Sunders

人権が尊重されていない時代や地域では、
人命よりも性急な変革(新指導者の権力獲得)を優先させようとすることが膨大な流血を招くのではないでしょうか。
性急な変革を惹起させないためには平和的な権力移転制度(選挙による政権交代)が確立されなけれなりませんが、それまでは既得権力者との権力闘争は烈しいものにならざるをえないでしょう。

資本主義から社会主義への革命が目を引きますが、
長い歴史上において権力の源泉は、資本(経済力)だけでなく、宗教、思想といった精神活動にもまたがって転移しています。そしてその間絶え間なく虐殺は続けられています。

ようやく人権思想を備えた国際社会は、それが不十分な国、地域に対して、(内政干渉に配慮しつつ)民主的な選挙制度導入を支援することが重要なことではないでしょうか。

by Sgt_Sunders (2010-01-31 03:11) 

Mas-Yamazaki

Sgt_Sundersさま: コメントありがとうございます。ご指摘のとおり、権力闘争の過渡期に、流血の事態を伴うというのは、当事者ではない「歴史の傍観者」という立場から見れば、ある程度は避けられないようにも思えます。ただ、いわゆる「共産主義国」で続発した、自国民の大量虐殺という事例は、既に権力基盤がいったん固まった後に発生しているので、権力闘争の副産物というだけでは説明できない部分があるかと思います。

暴力で権力の座についた人間は、堂々としているように見えて、実は自分も同じように暴力によって権力の座から引きずり下ろされるかもしれない、という恐怖心と隣り合わせなのかもしれません。そうした恐怖が、決して「脅威」ではないはずの人間を「潜在的な脅威」と見誤らせ、彼らを死に追いやる結果になったのか、とも思います。まだまだ、はっきりとした答えは見えませんが…。
by Mas-Yamazaki (2010-02-04 21:13) 

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