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2010年4月16日 [その他(戦史研究関係)]

4月8日の記事に関するコメントで、パウル・カレルの著作についてのご質問がありました。また、学研M文庫の『ロンメル戦記』のあとがきで書いた内容が、一部で想定外の物議を醸している(苦笑)こともあり、今回はカレルの著作についての、現時点での私の認識の説明(ゲームルールで言うところの「明確化」)を兼ねて、この話題で少し書いてみることにします。かなり長い記事となってしまいましたので、このトピックに興味のない方は、読み飛ばしていただいて結構です。

歴史群像』誌の次号に掲載される予定の原稿『バグラチオン作戦』の執筆に際し、私は独ソ戦関係の書物を机の横に積み上げて作業を行いましたが、その中にはパウル・カレルの著書『焦土作戦』は入っていませんでした。その理由はいくつかありますが、一番大きな理由は、既に『焦土作戦』を読んでいる読者にも、新鮮な視点と情報を提供して内容に満足していただける記事に仕上げるには、同書を直接の参考にしない方が良いだろうと思われたことでした。

独ソ戦を含む第二次世界大戦の戦史研究原稿を書こうとする時、パウル・カレルの著書は、使い勝手の良さという面において、非常に便利な書物だと言えます。単なる事実関係の羅列に留まらず、戦場の「情景描写」が他の類書を凌駕するほどに「迫真的」なので、これを読んで頭の中に明瞭なイメージを描けば、まるで「リアルな」戦争映画を観た直後のように、自分もその場に居合わせているような感覚で、スラスラと文章を紡ぎ出すことが可能になります。

ただし、カレルの原著が刊行されたのは、『バルバロッサ作戦』が1963年、『焦土作戦』が1966年という、東西冷戦の真っ只中であり、その記述内容は、西側の反ソ的プロパガンダやソ連政府による情報統制などの影響を色濃く受けていました(カレルをはじめ当時の西側研究者は「スターリンの死により情報公開が始まった」と歓迎し、どちらかといえば無批判に取り扱っていたようですが、彼らが手にしたソ連側情報の多くは逆に、フルシチョフなどスターリンの後継者による「反スターリン的」な情報操作が施されたものでした)。従って、パウル・カレルの著書を読んで膨らませた「イメージ」に大きく依存して原稿を書くと、当然のことながら、視点が「東西冷戦時代の(反ソ的でドイツ軍人に同情的な)第二次世界大戦観」に縛られることになってしまいます。

もちろん、こうした問題はパウル・カレルの著作に限った話ではなく、同時期に刊行された戦史書(特にソ連側の文献)にも多かれ少なかれ不可避的に存在しているものです。そして、カレルが著述活動を行っていた時期と比較して、現代に生きる我々は、当事者の証言をもうほとんど聞けないという不利な点と、終戦から65年のうちに内外の先人たちによって発掘・検証された新たな研究成果を、幅広く活用できるという有利な点を持っています。

こうした状況を踏まえて、私が2010年という時代に執筆する「バグラチオン作戦」の原稿において、何を読者に提供すべきかと考えた時、日本国内でも入手が容易で、戦史書としての知名度が高く、雑誌『歴史群像』誌の読者が既に読んでいる可能性が高い『焦土作戦』の記述内容を焼き直しで書くのではなく、日本ではあまり知られていないソ連側の文献(前記した情報操作に留意した上で)や、東西冷戦の終結後に公開された資料に基づく文献を参考にして執筆した方が、より多くの読者に満足していただけるのではないかという結論に到達しました。このような理由から、今回は敢えて『焦土作戦』は参考文献から除外しました。幸い、他に多くの有益な文献を活用できたため、『焦土作戦』を参考にしなくても、自分なりに完成度の高い原稿に仕上げられたのではないかと考えています。

ただし、原稿を執筆する際の「参考文献に使わなかった」からと言って、その著作の存在価値や資料的価値をすべて否定しようという考えは、持っていません。パウル・カレルの著作についても、以前の記事のコメント欄で触れました通り、知り合いの誰かが読んでいれば「こういう点に注意するといいですよ」という軽い助言はするかもしれませんが、読むことそのものは止めないですし、自分にそんなことをする資格があるとも考えていません。

拙著『ロンメル戦記』のあとがきで書いた文も、単に私が「参考文献として使わなかった」というだけの意味しか込めていないつもりでしたが、その説明で「記述内容の偏向や思想的背景への疑問」云々とまで書いてしまったためか、一部では不快に思われた方もおられるようです。先日拝見した、とあるゲーマーの方のブログで「参考文献に使わなかったのなら、単にリストに含めなければいいだけの話で、わざわざ理由まで書く必要はない」とのご指摘があり、確かにその通りだと思いました。今後は、他の著者やその方が書かれた著作を(個別の事実記述についての疑問や指摘とは違う形で)貶めるような表現は、厳に慎むようにします。

次号からの『歴史群像』誌では、掲載記事のそれぞれについて「より深く知るための参考図書」をいくつか紹介するコーナーが新設されましたが、私はその中で「バグラチオン作戦」に関連する参考図書の一冊として、いくつかの注意書きを添えた上で『焦土作戦』を読者に推奨しています。『歴史群像』は日本の雑誌なので、洋書だけを列挙するわけにはいかないという事情もありますが、1944年6月から8月の白ロシアで、苛酷な境遇に置かれたドイツ軍将兵がどのように戦ったのかを知るには、『焦土作戦』は手頃な文献ではあると思います。

シックス・アングルズ第13号の収録記事「データで読み解くクルスク戦の実相」で指摘しました通り、私はパウル・カレルの著作について、事実関係の記述にいくつか重要な間違い、あるいは「印象の誘導」があることを考慮した上で、戦史的な情報源としての取扱には多少の注意を要すると考えています。とはいえ、カレルの著作に見られる事実関係の誤りや、自ら関与した戦争を正当化するような(戦争当事者の著作によく見られる)「記述上の偏向」を、40年以上後の現代に生きる我々が見つけることは、そう難しいことではないのも事実です。また、一から十まで全て間違ったことを書いているわけでもないので、問題点とそうでない点の腑分けを明確に行った上でなら、戦史研究の資料としても活用可能な情報源だと思いますし、実際にそのような使い方をされている研究者の方も少なくないようです。

私は以前の記事で「パウル・カレルを卒業」云々という書き方をしたことがありますが、今から考えると、この表現は軽率であったかと反省しています。カレルが著作の執筆時に行ったのは、1000人を超える従軍将兵への膨大な聞き取り/アンケート調査と、それに基づく記述という気の遠くなるような作業であり、私は今までの著作を執筆する時に、そのような形式の苦労をしたことがありません(先人によってある程度分析・整理された「文献」に基づく仕事がほとんどです)。それを考えれば、私が「パウル・カレルを卒業」などというような、対象を見下した発想あるいは表現をしていたことは、大きな勘違い、あるいは思い上がりであったように思います。

以上、今回も長々とした記事になってしまいましたが、パウル・カレルの著作に対する私の現時点での認識と態度を改めて表明しますと、

原稿を執筆する際の参考文献としては、従来とは別角度からの情報提供を重視する立場から、当分の間使用しない意向

ただし著作の資料的価値を全て否定するような意図はない

特定のテーマを総合的に理解する助けになると思えば、注記付きで他の方に薦める場合もある


ということになります。「使い勝手の良い」パウル・カレルの著作を、当面は参考文献に使わないというのは、読者に喜ばれる良い記事を書くために、敢えて自分に課した「ハードル」のつもりですが、もちろん「使用しない」こと自体には積極的な意味はなく、それに固執するつもりもありません。今後も前向きな姿勢で「少しでも良い記事を書く」という目標に近づくための、最良のアプローチを模索していきたいと思います。

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古参兵

久しぶりのコメントです。前の「ロンメル戦記」あとがきを拝読し、少々憂慮しておりましたが、今度のエントリを拝見して安心しました。やはり人間、思考が硬直するのはイケマセンです。1つの視座だけが正しいと見なす独善に凝り固まると、それに合わない事実は無視黙殺せざるを得ず、結局は旧軍の参本や軍令部のエリートさんと同じ陥穽にはまります。思考は柔軟に、先入観を遠ざけ、今後も良書を著されることに期待します。
by 古参兵 (2010-04-17 23:21) 

ある戦史探求者

興味深く拝見させていただきました。最近、史実に厳格な高橋慶史氏の最新刊「ドイツ武装SS師団写真史1」を読みましたが、脚注には一次文献と同列でパウル・カレルの本も参考にされていました。これからは、古い資料は間違っている、新しい資料は正しいということではなく、できるだけ客観的な視点から歴史を見直すことも必要になっていくかもしれませんね。ところで、次号の「歴史群像」の特集「バグラチオン作戦」に大変興味を持っております。もしよろしければ、参考文献を教えていただけないでしょうか?これからのご活躍に大変期待しております。がんばってください。
by ある戦史探求者 (2010-04-18 16:39) 

まる

くわしくご説明いただき有難うございます。おかげで、問題点がよく理解できました。

書店でポーランド電撃戦を購入して、読み始めています。まだ初めの部分を読んだだけですが、ヒトラーのドイツとポーランドが、戦争前年の1938年には友好国だったとは意外でした。
by まる (2010-04-18 18:59) 

Mas-Yamazaki

古参兵さま、ある戦史探求者さま、まるさま: コメントありがとうございます。今後も、視点や思考が硬直しないよう留意して、いろいろな角度から対象を分析するよう、努力するつもりです。個々の文献資料についても、取り扱いに注意しながら、それぞれの価値をきちんと見極めて活用できるよう心掛けますので、今後も仕事を見守っていただければ幸いです。

ちなみに、私が今回の「バグラチオン作戦」執筆で使用した主な参考文献(毎回、記事の末尾に8冊挙げることにしています)は、以下のとおりです。

◆William Conner 『Analysis of Deep Attack Operations: Operation Bagration』 Combat Studies Institute
◆Anthony Tucker-Jones 『Stalin's Revenge: Operation Bagration & The Annihilation of Army Group Center』 Pen & Sward
◆Rolf Hinze 『East Front Drama - 1944』 J.J.Fedorowicz
◆Steven Zaloga 『Bagration 1944』 Osprey
◆Werner Haupt 『Army Group Center』 Schiffer
◆S.M.Shtemenko 『The Soviet General Staff at War 1941-1945』 Progress
◆A.M.Vasilevsky 『A Lifetime Cause』 Progress
◆K.K.Rokossovsky 『A Soldier's Duty』 Progress
by Mas-Yamazaki (2010-04-21 00:19) 

+

よけいなお世話かもしれませんが、気分を害されるかもしれませんが、老婆心で書き込みます。私は上のパウル・カレル問題の記事をお読みした時、よからぬことが起こらねばいいが、と心配に思ってました。以前に某ゲーマーが、ブログでコマンドマガジンの「パウル・カレル本の価値を全否定する」記事を酷評したら、その後で匿名掲示板でものすごい誹謗中傷と人格攻撃の標的になったという前例があったので。そうしたら、案の定、というか・・・・。

http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/cgame/1271847860/28-
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1269969202/494-517

どうでもいいと思われたら無視されてけっこうです。乱文失礼しました。
by + (2010-04-22 22:36) 

Mas-Yamazaki

+さま: コメントならびにお気遣いありがとうございます。リンク先の記事を見ましたが、私ではなく、これを書かれた方ご自身の問題ではないかと思いました。この件については、以上です。
by Mas-Yamazaki (2010-04-25 00:20) 

こあら

+さんのコメントは第三者的にみて嫌がらせに見えます。
by こあら (2010-04-27 00:53) 

こあら

すいません、上のコメント不適当でしたら削除してください。
率直に書きすぎたかもしれません。
by こあら (2010-04-27 00:55) 

Mas-Yamazaki

こあらさま: コメントならびにお気遣いありがとうございます。上にも書きましたが、この件に関しては特にここで書くことはないので、これで終了ということにさせていただきます。
by Mas-Yamazaki (2010-04-30 02:05) 

Lancer

いつも楽しく拝見してます。実は私、東部戦線をテーマにした作戦級ゲームをデザインしていて、参考資料にパウル・カレルの『焦土作戦』も使おうかと思っているのですが、使ってもだいじょうぶでしょうか。読む時の注意点等があれば、教えていただけると大変うれしいです。お忙しいと思いますので、返答はいつでも結構です。ハードカバー本楽しみにしていますので頑張ってください。
by Lancer (2010-08-29 15:38) 

Mas-Yamazaki

Lancerさま: コメントありがとうございます。お尋ねの件ですが、私は戦史研究分野の「権威」などではありませんし、どのようなゲームを作られるのかにもよりますが、個人的意見として言えば「だいじょうぶ」だと私は思います。とりあえず以下の点に留意された上で、他の研究書の記述とも内容を重ね合わせて、有用と思われる情報だけをデザインの参考にされるのが良いかと考えます。

1. ドイツ国防軍にとって好ましくない事実(無様な敗北や民間人への加害行為、捕虜虐待など)が省略されている(つまり書かれていない)箇所が随所にある。シックス・アングルズ第13号の記事「データで読み解くクルスク戦の実相」で、実例をいくつか示していますので、よろしければご覧ください。

2. ソ連軍の情報については、主にフルシチョフが権力の座にいる時代に公開された資料に基づいているので、フルシチョフによって「全否定」されたスターリンの能力的評価は最低に近く(後に事実でないと判明した、フルシチョフによる作り話と思われる逸話を「事実」として描くなど)、戦時中「スターリンに気に入られた将軍」(ジューコフ、ヴァトゥーティンなど)の能力的評価も相対的に低い反面、「フルシチョフに気に入られた将軍」(エリョーメンコ、チュイコフなど)の能力的評価は高くなっているように見える(これは私の主観ですが)。

重要な戦闘の日付や、ドイツ軍の参加部隊の名称などについては、カレルの著作を他の資料と付き合わせても特に大きな間違いは見られず、インフォメーションとしての「情報価値」は、決して低くはないと思います(特に連隊より下の独立部隊の名称などの情報は貴重)。また、個別の戦闘における「ドイツ軍小部隊の戦いぶり」についての記述も、上記の1に留意された上で読まれれば、ゲームデザインの参考になるかもしれません(熱烈な阪神ファンの著者が執筆した『阪神=巨人戦の歴史』みたいな感じでしょうか… 試合の日時やスコアは中立的事実ですが、試合中の雰囲気や選手の内面、審判の判定の妥当性などは全体として阪神贔屓)。

新作ゲームをデザインする時に、パウル・カレルの著作を参考にしたからと言って、ゲームの内容も見ずに「そのことだけ」で文句を言う人はまずいないでしょうし、仮にいたとしてもそんな難癖に同調する人が他にもいるかどうかは疑問なので、あまり深刻に考える必要はないと思います。パウル・カレルの著作は、現在でもドイツやアメリカ、イギリスの著名な歴史家や戦史研究家が著述の参考図書として冷静に評価し、内包する問題点を承知した上で、慎重な取扱で活用しているというのが、私の知る限りでの事実です(蛇足かと思いますが、彼らがカレルを「無批判に礼賛している」という意味ではもちろんありません)。

最近出版された「バルバロッサ作戦」関連文献の中で、とりわけ内容が充実していると思われる、ドイツの歴史家David Stahel氏の著書“Operation Barbarossa and Germany's Defeat in the East”(Cambridge University Press ケンブリッジ大学出版局、2009年)は、BA-MA(ドイツ連邦軍公文書館)の文書を豊富に活用して書かれた研究書ですが、巻末の参考文献一覧にはカレルの著書『バルバロッサ作戦』が挙げられています(直接関係ありませんが、デヴィッド・アーヴィングの著作名も出ています)。

もちろん、どのような形でカレルの著作を「参考」にしたのかは、著者に直接質問しないとわからない問題ですが、参考文献にカレルの著作を挙げている独ソ戦の研究書は、2000年代の出版物だけを見ても数多く存在しますし、少なくとも欧米の歴史学や戦史研究の分野において、パウル・カレルが極端な(あるいは感情的な)否定的扱いを受けているという事実はないようです。

ということで、あくまで「私の知る範囲での事実関係」に基づく個人的判断ですが、ご参考にしていただければ幸いです。ポジティブな視点で、よいゲームをデザインされることを祈ります。
by Mas-Yamazaki (2010-09-01 23:24) 

Lancer

丁寧に説明していただき感謝します。おかげで心配が晴れました。私の知人も「そんなの気にする必要ないヨ」と言ってくれましたが、なんなんでしょうね、このパウル・カレルにまつわるおかしな(不快な)空気は... ともかくゲームのデザインで私もがんばってみます。有難うございます。
by Lancer (2010-09-02 22:43) 

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