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2014年4月23日 [2014年欧州旅行記]

少し報告が遅くなりましたが、今月2日の夜から18日まで、14泊17日でヨーロッパに戦跡+αの取材旅行に行ってきました。

今回は出発地のドイツ・デュッセルドルフ国際空港から、最終目的地のフランス・パリのシャルル・ド=ゴール国際空港まで、レンタカーを借りて自走で移動する旅となりました。

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まずドイツの友人ウリ・ブレネマン氏の自宅を訪問して、ドイツ料理のレストランで夕食。2日目はオランダのマーストリヒトに移動して同市内を観光し、3日目は朝からベルギーのエベン・エマエル要塞跡を見学、次いでオランダのアイントホーフェンの「9月18日広場」から「マーケット・ガーデン・ルート」をたどってソン橋、フェーヘル橋(マクスウェル・テイラー橋)、フラーフェ橋(ジョン・トムソン橋)、ナイメーヘン橋(ジェームズ・ギャビン橋)、そしてアルンヘム(アーネム)の「ジョン・フロスト橋」を渡河。さらにオーステルベークの空挺博物館(1944年9月当時、英第1空挺師団の司令部が置かれたホテル・ハルテンシュタイン)と、英軍の戦没者墓地、英第1空挺師団の本隊が着地したヘールスム北方の草原や、増援のポーランド第1空挺旅団が9月21日に着地したドリエル南東の草原、英軍部隊が脱出したオーステルベーク南方の渡河点、1944年9月の戦いではドイツ軍によって爆破されたアルンヘム南西の鉄道橋など、カーナビという武器を最大限に活用して、シミュレーション・ゲームのマップでおなじみの戦跡を実踏調査しました。

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その後、オランダのユトレヒトで蘭人ゲーマーの友人と会食して市内の歴史的建造物を見学し、オランダ西部のデルフトで一泊。フェルメールの絵に思いをはせつつ市内を見学した後、いったんデン・ハーグに立ち寄り(マウリッツハイス美術館のフェルメール作品を見たかったのですが、不運にも6月まで改装中で見られず)、そこからベルギーのアントワープとブルージュで市内の歴史的建造物を見学(アントワープのノートルダム大聖堂は素晴らしいです! 「フランダースの犬」で有名なルーベンスの名画もあり、お勧め)、夕方にフランスとの国境を越えてダンケルクで宿をとりました。

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翌日は朝からダンケルクのビーチに行き、1940年の撤退作戦の記念碑や砂浜の地形などを調べた後、カレーに移動してイギリスのドーバー行きのフェリーに乗り、船の上からカレーの海岸線の地形を観察調査。片道1時間の日帰りイギリス旅行では、ドーバーの港にある第二次大戦期の海軍作戦(フラー作戦など)に関する記念碑などを見学しました。そして、カレーに戻ってからブーローニュの宿へ向かい、そこで一泊した後、次の日はカレーとブーローニュの中間あたりにある「トート砲台博物館」(ドイツ軍の巨大な28cmクルップ列車砲などが展示されている)や、1940年5月にロンメルの第7装甲師団が英軍戦車部隊の反撃を8.8cm高射砲で迎え撃ったアラス南西の平原などを見学/調査し、さらにサン・リキエとアブヴィルで歴史的建造物や戦争の記念碑などを見学した後、ディエップへ。

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ディエップでは、翌日の朝から英軍とカナダ軍が上陸したビーチ4か所を実踏調査し、関連の記念碑などを確認したあと、ルアーブル南東の「ノルマンディ大橋」を渡っていよいよ1944年のノルマンディ戦の古戦場地域へ。まず、1944年7月17日にロンメルが英軍戦闘機の銃撃で重傷を負った、ファレーズ東方のサン・フォワ・ド・モンゴムリ付近の道路周辺で写真を撮り、その近くにあるヴィムーティエという街のはずれで路肩に展示されているティーガーI型の実車を見学。その後、ヴィレル・ボカージュで市内を少し見たあと、ノルマンディのガヴレイに近い田舎のB&Bへ向かいました。

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このB&Bは、シックス・アングルズの海外顧客である仏人ゲーマーの友人の奥さんが経営している宿で、今回はここで三泊し、本来は付いていない夕食も特別に一緒にいただけることになり、ノルマンディ名産のカマンベールチーズやりんご、カルヴァドス(りんごで作った強い食後酒)、そして「高級フランス料理」とは違う、素朴でおいしい地元の家庭料理をごちそうになりました。

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ノルマンディ海岸の、1944年6月関連の戦跡は、博物館だけでも40近くあり、とても全ては回れないので、実際の地形調査を中心に絞り込んで、件のフランス人の友人に案内してもらいながら見学/調査しました。サント・メール・エグリーズの教会(今でも米軍空挺兵のマネキンがパラシュートを屋根に引っ掛けた状態でぶら下がっている)と空挺博物館(ここは展示内容が充実していました)を皮切りに、ドイツ軍のサン・マルクフ砲台跡、オック岬、ユタとオマハ、ゴールド、ジュノー、スウォードの各海岸(ユタ海岸の北の方では、朝早くに行ったら新しい映画かドラマの撮影をしており、当時の米軍の軍装を着用した兵士が完全考証の米軍車両で浜辺にいる光景を見られ、70年前にタイムスリップしたような気分でした)、英第6空挺師団が奇襲占領した「ペガサス・ブリッジ」とその記念館、そしてあちこちに展示してある戦車(チャーチルAVREやシャーマンDDなど珍しい車両もありました)や、アロマンシュの沖合に今も残るマルベリー(人工港)の防波堤の遺構など、丸一日かけてたっぷり見て回りました。

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翌日は、宿のフランス人一家と一緒にモン・サン・ミッシェルの見学へ。普通はいきなり正面から同地へ向かうのですが、地元民ならではの視点というか、まずコタンタン半島側(つまり一般の観光客が見るのとは正反対の側)から島を望める場所へ行き、半島から徒歩で横断する巡礼者の姿(干潮時には半島から渡れるが、もちろん潮が満ちると溺れて死んでしまうので、引率者が必要)を遠く眺め、牡蠣で有名なカンカルで新鮮なシーフードの昼食をとったあと、いよいよモン・サン・ミッシェルの「本陣」へ。比較的小さい場所で、しかも内部はかなり観光地化されていて、ぼったくり商法っぽいものも無い訳ではないようでしたが、細い路地などには独特の中世期な雰囲気が今なお残っており、印象深い場所でした。

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ノルマンディでの時間を堪能したあと、パリへと出発しましたが、途中でサン・ローとルーアンに立ち寄り、それぞれ歴史的建造物や戦争の痕跡を見学しました。そしてパリに到着後はそこで三泊し、第一次世界大戦のドイツと連合国の講和条約が締結されたヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」や、廃兵院(アンヴァリド)にあるナポレオンのお墓、モンパルナス駅の建物にある「ジャン・ムーラン博物館」と「ルクレール将軍記念館」などを見学し、市内の観光名所もひととおり見てまわりました。また、パリ市内に住む仏人ゲーマー3人と会って夕食を共にし、食後はそのうちの1人がゲームプレイ用に(妻子と暮らす自宅とは別に)借りているという部屋に案内してもらい、ゲーム談義に花を咲かせました。ただ、パリは車で行くには最悪の場所で、ドライバーの運転は荒く、道は狭く、車の数が多く、道路標識や案内は不親切で、交差点の形状も奇怪なところが多かったので、カーナビがあっても思ったように走れず、非常に疲れました。しかも、市内には無料のパーキングスペースが事実上皆無で、ただ「車が存在する」だけでお金がじわじわと消えて行くので、次に行く時には車なしで訪問し、気楽にメトロなどで移動しようと思いました。

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パリはそれなりに面白いところでしたが、人も車も多すぎて精神的に少し疲れた(有名な場所は朝一に行かないと長蛇の行列になる)ので、最終日には早めに市内を脱出し、夕方にド=ゴール空港へ向かうまでの間、パリから40分ほどにあるオーヴェル・シュル・オワーズという小さい街でのんびり過ごしました。ここは、画家のファン・ゴッホが最後の日々を過ごした場所で、彼と弟テオのお墓があるところですが、セーヌ川の支流オワーズ川の畔はまさに印象派の絵に入り込んだような美しい場所で、パリの喧噪を洗い流してリフレッシュできました。

ということで、現地で15日間にわたり車を走らせ続け、総走行距離は3400キロ、撮った写真は2000枚近くに達しました。今回は、とりあえず第一報のみですが、今手がけている光人社さんの文庫本(テーマは1943年のクルスク戦)の地図製作作業が一段落したら、各地で撮った写真などをもう少し詳しくご紹介しようと思います。
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気分は、ロンメル!

移住でもしてしまわれそうな勢いw
by 気分は、ロンメル! (2014-04-26 11:14) 

Qazana

現地に行って実際に地形とかを見るのは良いですね。
実際に行ってみると地図上だけでは得られない知見が得られますから。
私も中学生の時に自由研究で実際に関ヶ原の古戦場に行って、思っていたより狭い範囲で交戦していたのを見て目から鱗だったことがあります。
個人的には昨年度は美術館と神社仏閣巡りをけっこうしたので、これを見て今年度は古戦場、戦争遺跡巡りや城郭巡りを目標にしようかと思いました。

ちなみ宿の写真で写っている車は色々なところを巡る我が愛車で、そのベースとなったコンセプトカーがQazanaだったりします。(笑)
by Qazana (2014-05-01 12:21) 

Mas-Yamazaki

Qazanaさま:コメントありがとうございます。おっしゃる通り、戦場となった場所を自分で歩いてみると、書物を読んだり写真で見るだけではわからない、距離感や広さ・狭さの感覚などの情報を実感として得られるので、今後も積極的にいろんな場所を回りたいと思います。

ところで、日産のJUKEに乗られているとのこと。JUKEは今回のドライブ旅行で相棒として大活躍してくれました。以前にTIIDAに5年乗っていたことがありますが、故障やトラブルが一度も無かったので、今回も安心感を持って走ることができました。見た目は「シュッ」としていない感じですが(笑)、アウトバーンで180km/h出しても安定感があり、また何度か道路を外れた場所を走ることがありましたが何事もなく通過できました。車内が広めなので、安いスーパーで飲料水や軽食を買いだめして車内にストックしたり、気温変化に合わせて服を着たり脱いだりする簡易更衣室としても使えました。ヨーロッパではJUKE結構走っていましたよ。

このコンセプトカーが「Qazana」というのは初めて知り、また製品版のJUKEと、あまり違いがないことに驚きました(笑)。
by Mas-Yamazaki (2014-05-11 18:35) 

Qazana

ちょうど1年ほど前に遷宮の終わった出雲大社まで片道約500kmを日帰り旅行しましたが、思ったより疲れずに移動が出来ました。
人を乗せると後席は狭いので不評ですが、私はほとんど一人乗りなのサイズ的にはちょうど良くて、結構重宝しています。
うちの車は3年強乗ってますが今のところトラブルフリーです。ただ初期型なのでリコールが2回ほど掛かりました。

これを書いていて思い出したのが、出雲大社の横にある島根県立古代出雲歴史博物館で近隣で発掘された青銅器の剣や銅鐸などを見学していたときに、実物を見ると思っている以上に薄く精密に加工されていたことです。
古墳時代のものだから加工技術も大した物ではないだろうと勝手に思っていた自分の無知を反省すると共に、あの時代にこれだけの加工をした人々に感動を覚え、しばし立ち止まり、時間を掛けて観察したことが鮮明な記憶として残っています。

これがあるので美術館巡りや博物館巡りは止められないですね。(笑)
by Qazana (2014-06-01 19:17) 

Mas-Yamazaki

Qazanaさま:コメントありがとうございます。JUKEは、本当に運転しやすくて疲れない良い車ですね。現地滞在15日間の旅行中、体力的に一番きつかったのは2日目でしたが、乗り換え含め12時間ほどのエコノミークラスと、久しぶりに左ハンドルと右側通行でアウトバーンを走った緊張が原因でした。それ以後、トータルで3400キロという、後で考えると笑ってしまうような距離を走りましたが、肩こりや腰の違和感など全然無く、本当に毎日楽しく走れました。

出雲大社は、まだ行ったことがないですが、いずれ一度行きたいと思っています。ただし、今乗っているのは長距離ツーリングには全然向かない軽自動車なので、ドライブで行くのは無理そうですが…。
by Mas-Yamazaki (2014-06-16 22:12) 

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