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2017年3月27日 [その他(戦史研究関係)]

前回の更新から一か月以上が経過してしまいました。この間、三つの出張旅行があり、それらの情報も含めて、以下にご報告します。まずは告知から。

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3月5日に、学研『歴史群像』誌の最新号が発売されました。私の担当記事は「ハイドリヒ暗殺事件の現場を歩く」(カラー4ページ)と「バルト三国の第二次大戦」(白黒11ページ)の二本です。

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どちらも知られざる第二次大戦の裏面史ですが、前者は昨年現地で撮ってきた写真と自作の地図3点で、暗殺事件とその関連の現場を紹介しています。


続いて、出張旅行について。まず2月20日から27日まで、本の取材を兼ねて中国の上海、蘇州、南京と台湾の台北、新竹に行っていました。

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中国の本土へ行ったのは初めてでしたが、上海、蘇州、南京とも、ホームドア付きの綺麗な地下鉄が整備されている上、タクシーも気軽に利用できるので、限られた時間内で多くの場所を見て回れました。

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上海にある「豫園」という庭園施設。あちこちに散りばめられた凝った装飾が興味深いです。

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1937年の第二次上海事変で、第3師団の先遣隊が上陸した呉淞桟橋付近のようす。今も貨物船などの桟橋として使用されています。

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1937年の第二次上海事変で、第11師団が上陸した川沙鎮の海岸。護岸されていて当時の面影はありませんが、この辺りでは揚子江は海のように広い。

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1937年の南京攻略戦で激戦地の一つとなった、中山門。現在は三つの穴を道路が通る形になっています。

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南京北部の揚子江沿岸。1937年の南京攻略戦のあと、河岸のあちこちで、大勢の中国軍捕虜が日本軍によって殺害され、死体のほとんどは川に流されました(現場にいた複数の日本陸軍と日本海軍の兵士が、その惨状を当時の日記などに書き残しています)。


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中国と台湾でも、シミュレーション・ゲーム(ウォーゲーム)関係の友人とあちこちで会い、情報交換や歓談、ゲームプレイを楽しめました(台北ではGJ「賤ヶ岳戦役」と現地デザイナーの制作中ゲームをプレイ)。

中国では、数年前から若い世代の給料が増えたので、欧米や日本の輸入ゲームも買えるようになり、ボードゲーム全体のマーケットが広がっているとの話。ゲームデザイナーも続々と誕生中です。

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中国製のウォーゲーム。最初の2つは、大坂夏の陣がテーマで、中国のゲーム/エンタメ業界では日本の戦国時代が人気テーマの一つだとか。3つ目は第二次大戦末期のベルリン戦、4つ目は日清戦争の水上戦を扱う戦術級ゲーム。

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こちらは台湾のウォーゲーム付き雑誌『戦棋』の最新号と一つ前の号。最新号の「四平」は、国民党と共産党の「国共内戦」における四平攻防戦がテーマで、両軍の戦闘序列や指揮系統も詳しくて興味を惹かれます。副題の「中国のマドリード」とは、スペイン内戦期の戦いにちなんだ表現。

一つ前の号は、日中戦争初期の1937年に繰り広げられた、第二次上海事変から南京攻略戦を扱う作戦級ゲーム「鐵衛禁軍」。中国軍の編制内容に関する情報も詳しいので、いろいろ参考になります(上海から南京への進撃途上で発生した出来事を考えると、日本人にはなかなかプレイやデザインのしにくいテーマです)。南京攻略戦時の日本軍による中華門突破を扱うミニゲーム「南京! 南京!」もおまけで付いています。



2月28日は家で一服しましたが、3月1日から4日までは、前回の記事で紹介しましたイベント2つと仕事の打ち合わせで東京へ。1日と4日のイベントでは、いろいろな方とお話することができ、私も大いに勉強になりました。特に、上智大学の「ジャパノロジー」研究は、今の社会で進みつつある「自国認識の実質的な画一化」に対抗する上で重要だと感じました。

1935年の天皇機関説排撃論とそれ以後の国体明徴運動において、「日本の国体は万邦無比(他国とは比べものにならないほど優れたもの)」という主観的な自国優越思想が根底にありましたが、その際に多用された論理が「西洋の学説(憲法論、社会論)では日本の国体を正しく評価できない」というものでした。

言い換えれば、1935年〜1945年の日本では自国の制度や文化、歴史認識を外部世界との繋がりとして「相対化・客観視」する視点を捨て、ひたすら自国優越思想の「主観」で絶対化する思考が政府と軍部、国民を支配したとも言えます。おそらく「ジャパノロジー」研究は、それとは正反対の学問です。



3月6日から12日までは、こちらも本の取材を兼ねた旅行で、長崎と沖縄へ。原爆関係と沖縄戦の強制集団死(いわゆる集団自決)関連の場所を主に訪問し、沖縄ではフェリーで渡嘉敷島にも渡りました。

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長崎の眼鏡橋。米軍が計画していた長崎の原爆投下目標は、この眼鏡橋の二つ西に架かる常盤橋という橋でした。投下当日は、第一目標の小倉と同様、長崎も厚い雲に覆われていましたが、一瞬だけ切れ目ができ、爆撃手が目標をきちんと確認せずに投下したとされます。

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長崎平和祈念公園の平和祈念像。

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沖縄のシムクガマというガマ(洞窟)の入り口を内側から見たところ。このガマに隠れていた民間人は、勇気あるリーダーの判断で米軍に投降したため、ほぼ全員が助かりました。



なかなかにヘビーな三週間でしたが、今執筆中の二冊の本に活かせそうな情報をいろいろ得ることができました。来月中旬には、今年一冊目の本が出る予定ですが、それについては改めて告知します。



【おまけ】

中国と台湾、長崎、沖縄で食べた、美味いもの。食という面でも、今回の旅行は大満足でした。

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