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2018年5月13日 [その他(戦史研究関係)]

先月(4月)後半は、ヨーロッパへの旅行(後述)などもあって、結局更新できずじまいでした。改めて、近況の報告です。

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まず、前回の記事で告知した新刊『1937年の日本人』(朝日新聞出版)が、4月20日に発売となりました。80年前の日本社会がどう変わって行ったのか、当時の日本人の目線に寄り添いながら、日々少しずつ進む空気の変化を丁寧に振り返る内容です。

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最終章では、帝国議会(国会)での国家総動員法の審議中に起きた、佐藤賢了中佐の「黙れ」暴言事件も、前後の経緯を含め「起こるべくして起きた事件」として紹介しています。最近起きた自衛隊三佐の行動とも通底する面があると思います。

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次に、『歴史群像』(学研)6月号が、5月7日に発売となりました。

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今回の私の担当記事は「中近東諸国と第二次大戦」で、同戦争期にイラク、シリア、イラン、パレスチナ等で起きた政治と軍事の戦いについて、俯瞰的に解説しています。英仏対ドイツ、英仏対ソ連、英対イラク、英対仏、英ソ対イラン等、敵味方が頻繁に入れ替わりました。現在の中東情勢に、影を落としている部分もあります。

そして7月6日発売予定の『歴史群像』次号(通巻150号記念号)では、2012年の創刊20周年記念号(8月号)に続き、厚紙のコマとカラーマップでプレイするボードゲームが付録で付く予定です。

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今回もゲームデザインとアートワーク、ルール編集を私が担当しました。2人用の「モスクワ攻防戦」と1人用の「バルジの戦い」です。前回は「日本海軍特集」で「ミッドウェー海戦」と「日本海海戦」のコンボでしたが、今回は「ドイツ陸軍特集」ということで、この組み合わせになりました。

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ゲームマップは、こんな感じです。詳しいゲームの内容については、次の機会に改めて紹介します。



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さて、4月9日から4月20日まで、取材を兼ねた旅行でドイツとチェコ、オーストリアに行ってきました。今回はまずベルリンで四泊し、三日目からはレンタカーを借りて、ザクセンハウゼン、ヴァンゼー、ポツダム、ヴュンスドルフ、ドレスデン、テレジーン(チェコ)、プルゼニ(同)、ニュルンベルク、ブラウナウ(オーストリア)、バートアウスゼー(同)、アルタウッセ(同)、ハルシュタット(同)、ザルツブルク(同)、ベルヒテスガーデン、ミュンヘン、ダッハウ、ノイシュヴァンシュタイン城、ランツベルクなどの歴史的な場所を見て回りました。

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ドイツ現代史に関心のある人なら、上の地名の羅列を見て、旅行のメインテーマを大体推測できるかと思いますが、ドイツ国民の過去との向き合い方と日本国民のそれとを比較すると、ドイツが理想だとは言わないにせよ、やはり大きな違いがあると実感しました。

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ベルリンの絵画館のそばにある「ドイツ抵抗記念センター」という博物館のある建物。ここに面した道「シュタウフェンベルク通り」は、第二次大戦期には「ベンドラー通り」という名で、ドイツ国防軍や陸軍国内軍などの中枢機関が置かれ、第二次大戦末期には、軍部の反ヒトラー運動の拠点として機能しました。

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ドイツ現代史で重要な舞台となった国会(連邦議会)議事堂(ライヒスターク)。ヒトラーとナチスが独裁体制を固める際に利用されたのが1933年の「共産主義者による国会議事堂放火事件」で、ヒトラーとナチス体制が終焉を迎えた1945年には、ベルリンを征服したソ連軍兵士がこの国会議事堂の屋根にソ連の赤い国旗を掲げました。

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「ヨーロッパで虐殺されたユダヤ人のための記念碑」。単に四角い石が並ぶだけに見えますが、中央で地面が下がっており、画一的な石の間を歩くと、アウシュヴィッツで画一的なバラックの間を歩いた時と同じ感覚に襲われて衝撃を受けました。上を見上げても空を石が挟み込む圧迫感。これは凄い記念碑だと思いました。

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「ヨーロッパで虐殺されたユダヤ人のための記念碑」は、かつてヒトラーの総統官房があった区画から、小さい交差点を挟んだ対角線上にあります。ヒトラーが1945年に自殺し、死体がガソリンで焼却された総統官房があった一帯は、今では普通の駐車場や集合住宅になっています。

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ベルリンの西部にある、オリンピック競技場。1936年のベルリン五輪のために建設されたメイン競技場で、屋根やフィールドは改修され、今も大きなスポーツイベントで使われていますが、柱などは当時のまま。施設内にある、各競技の金メダリストを記した壁には、女子水泳の前畑選手など日本人の名前もいくつか並んでいます。

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ベルリン中心部にある「トポグラフィー・オブ・テラー」という施設。ナチス時代にゲシュタポやSSなどの本部が置かれていた区画をいったん更地にして、これらの組織による非人道的行為を批判的に展示しています。こうした施設を見れば見るほど、日本との「歴史との向き合い方の違い」を痛感させられます。

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ベルリン近郊にあるヴァンゼー会議の開かれた邸宅。ナチスのユダヤ人迫害は一足飛びにホロコーストに進んだわけでなく、いくつかの段階を経ていましたが、1942年のヴァンゼー会議は優先政策としての「絶滅」へと転換する重要な出来事でした。ここで重要な役割を演じたのが、ラインハルト・ハイドリヒとアドルフ・アイヒマン。

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ポツダム会談が開かれた、ポツダムのツェツィリエンホーフ宮殿。スターリンとトルーマン、チャーチル(途中でアトリーと交代)の三巨頭が会談を行った会議場は、今も当時のままの円卓と椅子が保存されています。とても落ち着いた環境の場所でした。

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ベルリン南部のツォッセン近郊、ヴュンスドルフにある、ドイツ陸軍の司令部施設「マイバッハ」の残骸。司令部や通信所を地下トンネルで繋いだ施設群で、今もロケットのような形状の防空シェルターや、崩落した施設のガレキが残っています。

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ドイツ南東部の古都ドレスデン。古い建物が並んでいるように見えますが、実はこの都市は第二次大戦終了間際の1945年にイギリス空軍が実施した無差別爆撃によって破壊され、教会を含む美しい建造物は無残なガレキの山と化しました。戦後に再建され、現在は歴史を感じさせる街として多くの観光客が訪れています。

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ドレスデンからチェコ領に入り、同国がドイツの保護領となっていた第二次大戦期に「テレージエンシュタット」と呼ばれたテレジーンを見学。ここは、ユダヤ人ゲットーとゲシュタポの刑務所、移送中のユダヤ人を一時収容する強制収容所などがあり、各施設はほとんど手を加えず当時のまま保存されています。

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バイエルン北部の都市ニュルンベルクは、戦前にはナチスの党大会が行われた場所で、今も当時の遺構が残っています。これは大規模会場の一つ、ツェッペリン広場の観閲台で、当時は両脇にも柱が林立する勇壮な建造物でした。戦前戦中は観閲台上部にカギ十字が付いていましたが、占領した米軍が爆破しました。

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ツェッペリン広場から、西に1.3kmほどの場所にある公園。当時は「ルイトポルトアリーナ」という式典場で、見る者を圧倒するようなナチス党大会での兵士の整列はここで行われました。当時の建造物はほとんど取り壊され、唯一残るのは「戦没者記念堂(エーレンハレ)」という小さい廟ですが、きちんと手入れされておらず、周囲にゴミが散乱しているのに驚きました。

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ドイツのニュルンベルクから、車で南東に2時間40分ほど走り、オーストリアとの国境を越えてすぐのブラウナウ(・アム・イン)という街にある、ヒトラーの生家。一時、取り壊しが決定されましたが、社会福祉関係の用途で存続することに。周囲の街並みは綺麗ですが、この建物だけは一階部分が薄汚れた感じになっています。

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オーストリアのブラウナウの南東、つまりザルツブルクの東部一帯に広がる山と湖の連なる地域は「ザルツカンマーグート」と呼ばれていますが、その一帯にある、アルタウッセの岩塩坑。『歴史群像』誌第145号の記事でも触れたように、ここはヒトラーが自分の美術館用にコレクションしていた美術品を第二次大戦末期に秘匿していた場所で、現在ウィーンの美術史美術館にあるフェルメールの「絵画芸術」もその一つでした。事前にネットで予約しておけば、内部を見学できます。小さいトロッコが一台走る狭いトンネルを、延々と歩いて山の奥へ入っていきます。

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ベルヒテスガーデンは、オーストリアのザルツブルクから南西に車で一時間足らずの場所にあるドイツ南東部の高原の街ですが、その東方、オーバーザルツベルクと呼ばれる一帯の山に、かつてヒトラーが愛用した山荘(ベルクホーフ)の遺構があります。戦後、この場所がナチス支持者の聖地となることを避けるため、山荘の建物は解体されましたが、土台のコンクリートは今も残っています。雑木林の中にあり、やや見つけにくい場所。すぐ近くには「オーバーザルツベルク現代史研究所」という、ヒトラーとナチス(国家社会主義)時代を批判的に検証する小さな博物館もあります。

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ミュンヘン新市庁舎の少し北にある、将軍廟(フェルトヘルンハレ)。バイエルンの名将を祀る廟として19世紀に作られましたが、ナチス時代には死亡したナチ活動家の慰霊碑が追加され、横を通る市民にも敬礼が強制されました。ある種、靖国神社的な場所だったと言えますが、敗戦と共にナチスの価値観に基づく慰霊碑等は全部撤去されました。

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おそらく日本で一番有名な南ドイツの観光名所・ノイシュヴァンシュタイン城。バイエルンの若き国王が道楽で建てたかのようなイメージがありますが、当時のバイエルン王国が置かれた境遇を知れば、もう少し複雑な構図も見えてきます。第二次大戦末期には、ここにもナチスの所有する大量の美術品が秘匿されました。

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ミュンヘン西方約50キロのランツベルクにある、ランツベルク刑務所。1923年のミュンヘン一揆が失敗した後、ヒトラーはここに収監され、『わが闘争』の口述筆記もここで行われました。現在も刑務所として使用されています。

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今回のドイツ・チェコ・オーストリア旅行では、三日目からレンタカーを借りて移動しました。今回の相棒はホンダのシビック。私の年代ではコンパクトな大衆車のイメージがある車名ですが、今どきのシビックはこんなにスポーティーで速くて、ベルリンからミュンヘン空港までの2000キロを快適に走破してくれました。アウトバーンでは、空いていると150〜170kmで巡航でき、この旅での最高速度は190kmでした。

ということで、非常に密度の濃い、10泊12日の充実した旅行でした。旅先で学んだこと、考えたことは、今後のいろいろな仕事に活かしていけたらと思います。

来月は、朝日文庫から『[増補版]戦前回帰』が発売される予定です。これは、三年前に学研から刊行した『戦前回帰』の四章に加え、この三年間で起きた出来事の中から「伊勢志摩サミットと政教分離」「天皇の生前退位」「教育勅語の教育現場への復活容認」などを取り上げた第五章を加筆しました。こちらも、発売日が決まり次第、改めて内容などを告知します。


【おまけ】
現代史関係の重い場所ばかりを連日見て回った旅でしたが、それだけでは精神が持たないということもあり、合間に二つの楽しみを挟みました。

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一つは、フェルメールをはじめとする美術品の鑑賞で、ベルリンとドレスデンの絵画館で名画の数々を堪能しました。

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特にドレスデンには、第二次大戦後の一時期ソ連に持って行かれたフェルメールとラファエロがありますが、ヴェネチアの画家カナレットの甥であるベルナルド・ベロットのコレクションが充実していたのも予想外の収穫でした。

もう一つは、ビールと地元料理で、今回のルートにはチェコ西部のプルゼニ(ピルゼン)とドイツ南部のミュンヘンという、ビール好きの二大聖地を含めたこともあり、本場のビールをたっぷり味わいました。

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ピルゼンは、ピルスナーの発祥地で、代表的なブランドは「ピルスナー・ウルケル」。ハーブ入りバターを載せたポークステーキも絶品でした。

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ドイツ南部、かつてのバイエルン王国の首都ミュンヘンは、白ビールの本場で、旅行中は時間とお金を節約するためレストラン以外で食事を済ませることが多かったですが、ここでは話が別。滞在二日目の晩に、電車でミュンヘン中心部にある白ビールの有名ブランド・フランツィスカーナー直営店で、シュヴァイネハクセ(豚のスネ肉のロースト)と一緒にいただきました。

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こちらは滞在最終日の夕食。ベルリンからミュンヘンまで、あちこち巡った旅の最後がランツベルク刑務所というのは哀しいので、いったんホテルに車を置き、再度ミュンヘン中心部へ。同じく白ビールの有名ブランド・パウラーナー直営店で白ビールと白アスパラ(ドイツの春の風物詩)のスープ、シュヴァイネブラーテン(豚ロースト)を堪能しました。
 
 
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2018年4月8日 [その他(戦史研究関係)]

今年二回目の更新です。1月に続き、3月も他の仕事で忙しく、結局一度も更新できませんでした。

まずは告知から。今月20日に、新しい単行本『1937年の日本人』が、朝日新聞出版から発売されます。

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7月の盧溝橋事件を境に、日本は平和から戦争の時代に突入した… と教科書等では語られますが、実際にはその境界はグラデーションのように曖昧でした。当時の日本政府は、自国民に対しても諸外国に対しても「これは事変(戦争には到らない武力衝突や交戦)であって戦争ではない」と説明し、目的を達したらすぐに終わるかようなポーズをとっていたからです。

そんな、日本社会の空気に広がる薄いグレーが、日々少しずつ濃くなっていく経過を、当時の新聞記事や雑誌記事に書かれた文面に語らせる形で、当時の日本人の視点を意識しつつ、俯瞰する内容の本です。戦争や軍事だけでなく、市民の暮らし、特に主婦や子どもの生活がどんな風に変わっていったのか、その変化を丁寧に追いました。

また、当時の帝国議会(今の国会)での政府と各党議員のやりとりにも光を当て、前半の平和な時代から後半の戦争の時代へと移行する様子を、政界の空気の変化という観点からも描き出します。本の主題は1937年ですが、序章は1936年12月の帝国議事堂での第70議会開院式、終章は1938年春の国家総動員法成立です。

本のコンセプトは「時空を超えたホームステイ」で、大阪第四師団に勤務する陸軍将校のお父さんのご家庭に滞在して、その家にある新聞や各種の雑誌を読みながら、1937年の日本社会に漂う時代の空気を読者が知り、変化を感じられるような本を目指しました。

時期的には、昨年出た『「天皇機関説」事件』(集英社新書)の後に続く形となります。今の日本で暮らす生活者として、サラリーマンや主婦、大学生が気軽に手に取れる本に仕上がったのでは、と思います。平和から戦争へ、誰もその本当の意味に気づかないような形で、社会が日々、少しずつ変わっていく。ほんの80年前に、この国で実際に起きたことです。ぜひ、ご期待ください。


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それと、3月初めに『歴史群像』誌の最新号が発売されました。今回の私の担当記事は「ギリシャと第二次大戦」です。

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第二次大戦期のギリシャで、どんな戦いが行われたのかは、日本ではあまり知られていないと思います。この原稿では、ギリシャ軍、イギリス軍、オーストラリア軍の公刊戦史なども参照しながら、戦前期のギリシャが置かれた状況、イタリア軍のアルバニアからギリシャへの侵攻、翌年のドイツ軍によるギリシャ侵攻、枢軸占領統治下のギリシャで起きた抵抗と内戦などを軍事と政治の両面から俯瞰的に解説しています。

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バルカン半島最南部のギリシャは、成り行きでイギリス側に立ち、まずイタリア軍、次いでドイツ軍と戦って敗れ、国土を占領されましたが、1945年に「戦勝国」となっても真の平和は訪れませんでした。それはなぜなのか? 知られざる第二次大戦の一側面です。


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また、3月後半に刊行されたファッションとスタイルの雑誌『GQ』(コンデナスト・ジャパン)2018年5月号にも、私の寄稿した1ページのコラム記事が掲載されています。

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内容は、公文書改ざんに象徴される今の日本での「政治の腐敗」と、それを許す周囲の環境について。田中芳樹の『銀河英雄伝説』で描かれた、ヤン・ウェンリーの有名な科白も引用しています。


今月は、後半にまた更新するよう努力します。

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2018年2月8日 [その他(戦史研究関係)]

2018年も、気がつくと2月に突入しており、1月はうっかりして一度も更新せずじまいでした。ということで、今年最初の記事です。

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まず、1月初めに『歴史群像』誌の最新号が発売されました。今回の私の担当記事は「アヘン戦争」で、十九世紀の清国(今の中国)で起きた、特異な構図の二度にわたる戦争を俯瞰的に解説しています。アヘン戦争の名前は年表などで知っていても、全体としてどんな戦争だったかを説明できない人も多いのでは? 

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清国が没落する大きな転機となった出来事ですが、当時の流れを知れば、香港とマカオがなぜあのような特別な位置づけになったのか、という疑問も解けるかと思います。第二次アヘン戦争とも呼ばれるアロー戦争を含む内容です。ぜひご覧下さい。


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同じく1月初めに刊行された、宮崎駿さんのアニメ作品で有名なスタジオジブリの発行する月刊誌『熱風』の最新号に、ジャーナリストの青木理さんとの対談記事が掲載されています。青木さんが同誌で続けられている「日本人と戦後70年」という連載で、13ページという長めの記事ということもあり、戦前・戦中・現在の諸々の問題について当日話した内容が、ほぼ完全に採録されています。

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スタジオジブリの月刊誌『熱風』は、一部の書店では買えるようですが、それ以外の書店は取り扱いがないようです。関心のある方は、ぜひ以下のサイトで、取り扱い店を確認してください。

「ジブリ関連書常設店について」

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それから、前回の記事で紹介した、昨年12月に東京の神楽坂でジャーナリストの布施祐仁さんと行ったトークイベント「アメリカと北朝鮮の戦争、『負ける』のは誰か?」の内容が、集英社の『週刊プレイボーイ』のネット版で、前後編に分けて公開されています。こちらも、当日語った内容を丁寧に採録した記事です。

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アメリカと北朝鮮の戦争、「負ける」のは誰か?《前編》

アメリカと北朝鮮の戦争、「負ける」のは誰か?《後編》


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そして、2月7日、つまり昨日ですが、朝日新聞出版から文庫本『[新版]西部戦線全史』が刊行されました。これは、10年前の2008年に学研M文庫から出た同名書の誤りを訂正し、一部加筆修正した新版で、第一次大戦の講和条約から1945年のドイツ敗戦までの、ドイツ対英仏米三国の政治と軍事の戦いを俯瞰する内容です。オリジナル版と同様の戦況図100点に加え、4年前にフランス等で撮影した写真(戦場や兵器)も8点収録しています。

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厚さ2.3センチ、あとがきの最後が625ページという、ずっしりした存在感で、中身のたっぷり詰まった本です。戦史の解説が中心ですが、戦間期のドイツと米英仏の関係や、第二次大戦期フランスのヴィシー政府やレジスタンスの説明もあります。価格は、税込み1,296円です。このテーマに関心がある方は、ぜひ店頭で手に取って内容をご覧ください。


今年は、4月に単行本が一冊出る予定(既に校正段階)で、6月前後にも単行本と文庫本を各一冊、秋頃に新書を一冊出す方向で、毎日執筆の仕事に励んでいます。また、本や雑誌記事以外の仕事も、いろいろと予定が入っており、このブログでも随時ご紹介していきます。本年もよろしくお願いいたします。


【おまけ】

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友人の台湾人ゲームデザイナー、鄭偉成氏が刊行するゲーム雑誌『戰棋』の最新号。付録ゲームは、張学良(東北軍)・蒋介石(国民党)・周恩来(共産党)の三勢力で1930年代(第二次国共合作や盧溝橋事件辺りまで)の中国の覇権を争う「少帥」。指導者・幕僚・会議・イベントの四種類のカードを併用する、興味深い内容です。

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また、同時期の上海での国民党官憲と共産党地下組織の暗闘を描くカードゲームも同梱。目次のページには、先日の訪台時に鄭氏と一緒に撮った写真が。謝謝!

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【おまけ2】

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執筆仕事の合間の息抜きを兼ねて、少しずつ作り始めている新作『マザーランド2(仮)』。シックス・アングルズ第9号『ウォー・フォー・ザ・マザーランド』の改訂版ルールをテストするうち、いっそのことフルマップ一枚で全体をプレイできるゲームとして作り直そうと思い立ちました。システムはほぼ同じですが、戦闘結果表や両軍の補給ルールを改訂し、ターン数を減らしてプレイ時間も短縮する方向です。

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2017年12月30日 [その他(戦史研究関係)]

いよいよ2017年も今日を含めてあと二日となりました。12月の主な出来事を、今年最後の記事として報告します。

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まず、12月5日、東京の「神楽坂モノガタリ」という書店で、ジャーナリストの布施祐仁さんとトークイベントをしました。タイトルは『アメリカと北朝鮮の戦争、「負ける」のは誰か──今、知っておきたい安全保障の基礎知識』で、前半は拙著『「天皇機関説」事件』で描いた1935年頃の日本と現在の日本に共通する風潮の増加について説明し、後半では北朝鮮とアメリカの対立と緊張を、日本人はどう捉え、何に注意すべきかという話をしました。

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布施さんとお話するのは、これが三回目ということもあり、気心が知れた部分もあって、リラックスしていろいろ話すことができました。会場のお店も、サロン的ないい雰囲気の空間でした。この時に話した内容については、近々集英社の『週刊プレイボーイ』のネット版で、前後編に分けて紹介される予定です。


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そのあと、12月11日から18日までは、取材を兼ねた旅行で香港、マカオ、深圳と虎門(中国)、台湾の台北と宜蘭に行ってきました。香港、マカオ、虎門では、アヘン戦争と清国側要人の林則徐に関連する博物館や砲台跡などを見て回り、『歴史群像』次号記事「アヘン戦争」の校正も現地で行いました。

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香港での一泊目は、尖沙咀の「九龍美麗華酒店(ザ・ミラ)」のパークビューの部屋。映画『シチズン・フォー』を観た人にはおなじみの、エドワード・スノーデン氏が一時期滞在したホテルです。少々お高い宿なので、今回は最初の一泊のみでしたが、広くてとても快適な部屋でした。

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香港では、シミュレーション・ゲーム(ウォーゲーム)仲間と会食しながら、歴史談義やゲーム談義で盛り上がりました。第二次世界大戦とその前後にイギリスの植民地だった香港では、大陸中国の共産党目線とも、台湾の国民党目線とも違う歴史認識を今も継承しているのが面白いところ。明や清の時代への関心も高い。

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当日会食した香港人デザイナーの一人が制作中の、第二次大戦期における日本軍の香港侵攻を描いたシミュレーション・ゲーム「Glory Recalled」。1941年12月8日に、日本軍がハワイの真珠湾を攻撃した事実はよく知られていますが、同時に英領香港にも侵攻した事実を知る人は日本では意外と少ないように思います。

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香港の炒飯(チャーハン)。20年ほど前に初めて訪れた時、路地裏の店で大きな中華鍋を振って豪快に作っていた炒飯の味に感動して以来、行くたびに必ず炒飯を食べています。日本の店でよくある、くどい味付けの炒飯と違い、香港の炒飯はさっぱりした風味で、私の好みに合う。どこで食べても外れがない感じ。

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香港名物のトラム(路面電車)。ゴトゴトと激しく揺れて、乗り心地は良いとは言えない乗り物ですが、香港島をただ横断するだけでも景色の変化をたっぷり楽しめるので、観光客には魅力的な存在です。乗車賃も安い(一回2.3香港ドル=約33円)。

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香港東部の筲箕灣(サウケイワン)というところにある「香港海防博物館」。かつて砲台施設があった場所を改装した戦史博物館で、香港がイギリスに割譲されるきっかけとなったアヘン戦争の展示が充実しています。

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アヘン戦争当時の清国と英国の軍船の模型。両国の軍事面での力の差は圧倒的でした。

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館内には、アヘン戦争の戦いを描くジオラマもあります。近代的なライフル銃やライフルド・マスケット銃を持つイギリス兵を、火縄銃と槍、刀、旧式の大砲で迎え撃った清軍。

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第二次アヘン戦争(アロー戦争)の講和条約(北京条約)の複製で、末尾には「大英一千八百六十年十月二十四日」の日付があります。

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博物館のある鯉魚門砲台は、1941年12月の日本軍による香港侵攻作戦でも激戦地となり、日本軍の第38師団第229連隊がこの一帯に上陸して砲台を攻略しました。当時の弾痕が今もあちこちに残っています。日本軍占領下の香港では、食糧と燃料の不足を軽減するため本土への移住や労務が強制されましたが、餓死者も発生していました。

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香港に滞在したのは11日〜15日で、この間に日帰りで、マカオ(澳門)と中国本土の深圳、虎門にも出かけました。上の写真は、中国の深圳と広州の中間にある虎門の、アヘン戦争に関連する史跡。林則徐が四角い池を二つ作らせて大量のアヘンを廃棄した場所で、同サイズの池と「鴉片(アヘン)戦争博物館」、当時使われた大砲などの展示があります。

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1839年に虎門で行われた、アヘン廃棄作業を再現した「鴉片戦争博物館」の展示。アヘンはただ燃やしても成分を完全に消せないため、塩水を満たした池に、英国商人から没収したアヘンを投げ込み、石灰との化学反応で成分を消した上で、川に流しました。この作業が、実質的に、アヘン戦争を引き起こすきっかけとなりました。

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中国の虎門西方で珠江の蒲州水道に架かる虎門大橋のたもとに、「威遠砲台」というアヘン戦争当時の砲台跡地が残っています。外洋から広州へと通じる重要な水路の狭隘部にあり、沿岸部と丘陵部に大砲40門を配置した複合砲台でしたが、大砲の射程はイギリス軍艦の搭載砲よりも短く、砲撃戦に敗れて壊滅しました。

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威遠砲台のすぐ東には「海戦博物館」という戦史博物館が。名称とは異なり、アヘン戦争の海戦だけでなく陸上戦闘についても豊富な展示があります。

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清国にアヘンを売りつけて利益を得ていた英国商人デント、マセソン、ジャーディン。英国の武力行使の背後には、彼らのロビー活動が存在しました。

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海戦博物館」には、清国の水軍指揮官として活躍した関天培や、第二次アヘン戦争(アロー戦争)で活躍した清国のモンゴル人指揮官センゲリンチンに関する説明、中国では過大評価気味とされる三元里での反英民衆暴動に関する説明などもあります。清英両軍の銃や大砲、軍艦の違いなどの比較展示も興味深い内容。

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こちらはマカオの写真。北部の公園で「中国象棋(シャンチー)」をプレイする地元のおじさんたち。大阪の新世界にある碁会所や将棋の対戦場の雰囲気と似ています。あちこちで盛り上がっていました。

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マカオの街並み。今は中華人民共和国の特別行政区の一つで、香港から高速フェリーで行けます。1557年から1999年まで、ポルトガルの居留地/植民地であったマカオには、ポルトガル風の街区があちこちに残っています。

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マカオにある歴史的建造物の中でもシンボル的な存在の、聖ポール大聖堂。正面のファサード以外は火災で失われ、今は倒れないように補強されたファサードだけが史跡として保存されています。イエズス会のフランシスコ・ザビエルは、マカオを拠点にキリスト教のアジア布教を行いました。映画『沈黙』でも、日本の長崎に向かう宣教師がマカオに滞在するシーンがありました。

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今回マカオを訪れた理由の一つは、アヘン戦争で重要な役割を果たした林則徐の記念館「澳門林則徐記念館」を見学することでした。観光客が多いマカオ半島南部から離れた北部にあり、貸し切り状態で静かに鑑賞できました。マカオにも巡閲で訪れた林則徐は、治水事業や外国文化への着目など、有能な行政官としての実績も多く残しています。

香港での滞在を終えたあと、台湾の台北へ移動。

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台湾では、シミュレーション・ゲーム(ウォーゲーム)とボードゲームの友人たちと会い、ゲームをいくつかプレイしました。最近は、国内よりも海外の旅先での方がゲームを遊ぶ機会が多くなっていますが、来年はなんとか時間をつくって、大阪(ミドルアース)や横浜(YSGA)の例会に参加したいと思っています。台湾人ゲーマーの中には、日本のゲームマーケットに参加したという人もけっこういて、日本製のゲームもよく遊ばれています。



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今年は全体的に、取材旅行や資料の収集に時間とお金を費やす「仕込みの年」となりました。2017年における著作の刊行は、『「天皇機関説」事件』(集英社新書)と『[新版]独ソ戦史』(朝日文庫)の二冊でしたが、2018年は単行本二冊と新書一冊、文庫二冊が出る予定です。戦史・紛争史研究家としての執筆活動をメインに据えつつ、それ以外の仕事にも積極的に挑戦していく所存ですので、来年もよろしくお願いいたします。

それでは、皆様もよいお年を!


【おまけ1】

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ブレードランナー2049』を劇場で観てきました。これは凄い。良い意味で予想を完全に裏切る完成度と内容の濃さで、映画二本分くらいの密度を感じました。あの世界観に魅力を感じる人は、ぜひ劇場で。前作を観ていない人は、必ず観てから行くこと。そうしないと、たぶん1/4くらいしか意味がわからないでしょう。

観る前に得ておく情報は、前作だけで十分。パンフレットの内容も、鑑賞前に読まないで正解だったと思います。ネットで公開されている「前日譚」と題された短編三本も、私は事前に観ることをお薦めしません(私は鑑賞後に観ましたが、先に観なくてよかったと思いました)。今回は異例にも、予告編の動画なども一切観ずに、ただ前作だけ頭に入れて観に行ったおかげで、冒頭からエンディングまで、すべてのシーンを「初見」として新鮮に味わうことができました。

どこへ連れて行かれるのか、最後までわからない。乗り物も街の風景も、室内のデザインも、一風変わっているものの全て説得力があり、よくここまで前作の世界観を継承し、なおかつ+αを違和感なく付加したと思います。私にとって、今年観たベスト1の映画です。


【おまけ2】

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香港の地下道にあった映画『星球大戦』の広告。

「黒暗勢力承継人」

明日の大晦日に、私も観に行く予定です。
 
 
 
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2017年10月4日 [その他(戦史研究関係)]

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9月は、公私共にいろいろと忙しくて、結局一度もブログを更新できませんでした。先月の話題になりますが、いくつか近況を紹介しておきます。

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まず、『歴史群像』誌(学研)の10月号が、9月5日に発売されました。今回の私の担当記事は「WWII 美術品争奪戦」で、第二次大戦とその前後のヨーロッパ戦域における、ドイツの美術品獲得・略奪と米ソ両国の奪回・略奪の歴史を俯瞰的に解説しています。

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日本でも人気のフェルメールも、ヒトラーの「蒐集欲」を刺激するアイテムでした。

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同記事の中でも紹介した、第二次大戦中の1943年4月にヒトラーの親友ホフマンが刊行した美術雑誌『クンスト・デム・フォルク』。

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表紙に使われたフェルメールの傑作「絵画芸術」は、一時ヒトラーの手中にありましたが、今はオーストリアのウィーンにある美術史美術館で鑑賞できます(写真は、昨年10月に美術史美術館で撮影)。


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それから、9月11日から15日まで、日中戦争関連の取材を兼ねて、中国の上海と南京に行ってきました。上海も南京も、今年の2月に続いて二度目の方面で、両市の主要な場所は見て回れたと思います。上は、上海バンド(外灘)の夜景。雨上がりで地面に光が反射しているので、特に綺麗でした。

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上海の戦跡。旧日本海軍陸戦隊本部の建物、八字橋、ガーデンブリッジ、飯田桟橋。「上海淞滬抗戦紀念館」は、第一次と第二次の上海事変についての展示がある戦史博物館。

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上海から少し離れた金山衛。膠着した上海の戦況を打開するため、1937年11月に日本軍の第10軍が上陸した場所で、激戦地となった金山衛城にも戦史博物館があります。

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南京市内の戦跡と史跡。当時ドイツのシーメンス社の中国支社総責任者だったジョン・ラーベの邸宅は、今では日中戦争期に彼が行った難民救済などを展示する博物館になっています。真ん中の挹江門は、1937年12月の南京戦でいくつかの事件の舞台となった場所。「南京抗日航空烈士記念館」は、日中戦争期における中国人・アメリカ人・ソ連人パイロットの戦跡や関連の資料を展示する戦史博物館です。

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南京城内の夫子廟という孔子を祀る廟のそばにある秦淮河の夜景。

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上海と南京では、シミュレーション・ゲームのプレイヤーとも会いました。ネットで情報収集できるので、みんな日本のウォーゲーム事情もよく知っています。

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上海といえば蟹。旬はまだ少し早かったですが、それでも美味しくいただきました。丸いのは、南京で食べた豚肉と餅米を固めたもの。これもなかなか美味。

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上海の通りを歩いていて、「雅弘画廊」というのを見つけました。中国語では「雅弘」は「ヤホン」と読むらしい。
 
 
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2017年7月16日 [その他(戦史研究関係)]

前回の更新から、だいぶ間が空いてしまいましたが、先日のアリゾナ・ハワイ旅行レポートの後編です。

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ハワイのホノルル国際空港は、今年4月27日に「ダニエル・K・イノウエ国際空港」へと改称されました。イノウエ氏は、ハワイ生まれの日系二世で、戦中は第442連隊戦闘団の一員としてヨーロッパでドイツ軍と戦った経歴(右腕を失う)を持ち、戦後は政界に入り上院議員や上院仮議長として活躍した人物です。

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イノウエ空港のロビーには、彼の足跡に関する展示に加え、第二次大戦期の日系人部隊である第442連隊戦闘団と第100歩兵大隊、陸軍情報部所属の日系米軍人の活動に関する展示があります。1943年、ヨーロッパ戦線に送られた米軍日系人部隊は、終戦まで激戦を重ねて多くの叙勲を受けましたが、必要以上に「忠誠心」を示す必要があったため、死傷率も非常に高かった。

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ハワイ・真珠湾のシンボル的施設である、アリゾナ記念館。日本軍の攻撃で大爆発を起こして沈没した戦艦アリゾナの船体上に作られた慰霊施設で、時間指定の整理券をもらってオアフ島から無料ガイドツアーで行きます。周辺には、他の沈没船の位置を示すコンクリート製の構造物もあります。真珠湾周辺の地形は平坦なので、日本軍の爆撃機や雷撃機のパイロットは、上空から目標を確認しやすかったでしょう。

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アリゾナ記念館に向かう前、ツアー参加者は日本がなぜ対米開戦を決定したかという短い映画を鑑賞しますが、真珠湾攻撃を実行した東條内閣の一員として、岸信介商工大臣の顔の下半分も一瞬画面に映ったように見えました。先日ここを訪れた安倍首相も、この映画を観たと、首相らに同行取材していた外国人記者から聞きましたが、画面を指さして「あれが私の尊敬する祖父です」と言ったでしょうか。

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真珠湾の戦史関係の見どころを回る拠点のビジターセンターには、小さい博物館があり、アリゾナ記念館の模型や、真珠湾攻撃の日本軍機が出撃した空母赤城の模型なども展示されています。戦艦ミズーリや潜水艦ボーフィン、太平洋航空博物館などのチケットはここで買えますが、ネットで事前購入するのが確実です。

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真珠湾でアリゾナ記念館へ行く時間待ちをしていたら、遠くから軍艦が近づいてきました。よく見ると、なんと艦尾に旭日旗が翻っていて驚きました。真珠湾に旭日旗の軍艦?

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「あれは海上自衛隊の訓練航海だね。戦没者に敬意を表して減速し、タグボートを伴っている」と米海軍の人が教えてくれました。艦名は「かしま」と「はるさめ」。真珠湾の港内で、アリゾナ記念館と、旭日旗を掲げた自衛隊の艦艇というツーショットは、いろいろな意味で興味深い光景ではありました。

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真珠湾に展示されている米海軍の潜水艦ボーフィン。太平洋戦争中盤の1943年5月1日に就役し、日本の輸送船に対する通商破壊戦に従事。1944年8月22日には沖縄から疎開する学童を乗せた疎開船「対馬丸」を撃沈した潜水艦で、今は内部を一般公開しています。この潜水艦を前にして、私は沖縄で見学した、対馬丸記念館の展示内容を思い出していました。艦内は見学せず。

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潜水艦ボーフィンのそばの陸地に展示されている、日本海軍の特攻兵器「回天」。英語の説明がストレートに言い表しているように「一人乗りの自殺魚雷」で、最初から敵艦への体当たりを目的とした兵器でした。私の父方の祖父は、戦後は個人でいくつか特許を持つエンジニアでしたが、戦中はこれに関わっていたとのこと。しかし私が小学生の頃に亡くなったので、どんな心境で回天に関わったのかは聞けませんでした。

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ハワイ・真珠湾のフォード島に停泊している戦艦ミズーリ。現在は記念館として艦上と艦内の一部を公開していますが、艦橋など上層構造部の修繕工事が行われています(今年9月まで)。第二次大戦後期の1944年1月に進水し、米軍の硫黄島上陸や沖縄上陸に加え、朝鮮戦争や湾岸戦争でも支援砲撃を行いました。

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戦艦ミズーリは、1945年9月2日に重光葵ら日本政府代表が、マッカーサーをはじめとする連合軍代表者と会って降伏文書に調印した場所でもあります(調印当時、東京湾に停泊)。降伏条約の調印時には、ペリー提督の掲げた古い星条旗が持ち出されましたが、今もそのレプリカがミズーリ艦上に展示されています。

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ミズーリの艦上では、修復の一環として、木甲板の張り替え作業が行われていました。鋼板に木を並べるのは、防熱や防音に加え、歩く人への負担軽減(濡れても滑りにくく、衝撃も緩和される)という効果もあるそうです。

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真珠湾のフォード島にある太平洋航空博物館。真珠湾攻撃当時に使われていた飛行場脇の格納庫を利用した軍用機の博物館で、ゼロ戦やB25(1942年4月18日に東京を爆撃したドゥーリットル隊の爆撃機)、ドーントレス、修復待ちのB17爆撃機などが展示されています。戦後のジェット機も少しあります。

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午後にフォード島で戦艦ミズーリと太平洋航空博物館を見学し、帰りのシャトルバスを待っていたら、「かしま」と「はるさめ」の乗組員らしき海上自衛隊の幹部候補生たちが、二台のバスに分乗してやってきました。


【おまけ】

ハワイでは、レンタカーのドライブに加えて、生まれて初めてスカイダイビングに挑戦しました。北部のディリンガム飛行場で、インストラクターとタンデムのパラグライダーで降下するプログラム。高度14000フィート(約4300メートル)で機外に飛び出し、最初は約1分の自由落下でスリル満点の体験。

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上空から見る、ハワイの山と海の色彩は絶景でした。降下した場所は、真珠湾を目指す攻撃第一波の水平爆撃機と雷撃機が通過した辺りで、日本海軍機の乗員はこの美しいハワイの景色を、どんな思いで見たのだろう、と思いました。しかし短時間での急激な気圧変化と、パラグライダー開花後の姿勢制御はけっこう身体にこたえました。
 
 
 
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2017年5月28日 [その他(戦史研究関係)]

【重版出来!】

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前回の記事で紹介した最新刊『「天皇機関説」事件』ですが、おかげさまで売れ行き良好で、発売直後から重版がかかり、発売から約一か月半で四刷になりました。買って下さった皆様、ありがとうございました。

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上は、今発売中の『週刊朝日』6月2日号に掲載された書評です。

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この本と関連して、6月12日に大阪・谷町六丁目の隆祥館書店で、尊敬する内田樹さんとのトークイベントをすることになりました。『「天皇機関説」事件』に関連する話を中心に、今の社会についての考えをいろいろ話したいと思っています。関心のある方は、隆祥館書店の公式サイトにお問い合わせください。

2017/6/12 「天皇機関説」事件が今、問いかけること  山崎雅弘×内田樹ト-クセッション


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それから、今月初めに『歴史群像』(学研)6月号が発売されました。

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今回の担当記事は「モンゴルと第二次大戦」です。第二次大戦を挟んだ1930年代から1940年代までの、外蒙古(モンゴル人民共和国)と東部内蒙古(満洲国西部)、西部内蒙古(徳王などの自治政府)それぞれの、日中ソ三国に翻弄された歩みを概観します。

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1939年のノモンハン事件は、日本では「日ソの激突」として知られていますが、モンゴル人民革命軍と満洲国軍のモンゴル人部隊による「モンゴル人同士の戦い」でもありました。

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知られざる第二次大戦の裏話を描く記事は、以前にも何度か書きましたが、最近書いた「チェコスロヴァキアと第二次大戦」「バルト三国と第二次大戦」「モンゴルと第二次大戦」はいずれも好評だとのことで、次号の担当記事も「インドと第二次大戦」で書きました。発売は、7月頭の予定です。
 
 
 
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2017年4月16日 [その他(戦史研究関係)]

今日は告知です。おとといの4月14日に、新刊『「天皇機関説」事件』(集英社新書)が発売されました。

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【商品説明】
《「天皇機関説」事件は、この学説を主張する憲法学者の美濃部達吉に対する、天皇を崇拝する退役軍人や右派政治家による攻撃が発端となっている。一九三五年二月に始まり、約半年に渡る「機関説」排撃運動の中で、美濃部に対する政治的な弾圧が行われただけでなく、言論や学問の自由も奪われ、立憲主義が事実上停止した。その結果、「権力の暴走」を止める安全装置が失われ、日本は破局的な戦争へと突き進む。この事件は、社会がどのように「壊れて」いくのかを物語る昭和史の重要な分岐点である。現在の政治・社会状況との類似点に戦慄が走る。》

メインテーマは「機関説排撃」ですが、憲法学説の問題に留まらず、最終的には社会の価値観を一変させた重大な歴史の転機でした。具体的には、天皇機関説の排撃に重なる形で「国体明徴運動」が始まり(これについては学研『戦前回帰』を参照)、個人主義や自由主義などの西欧的な価値観も「日本の国体に合わない」として批判や排撃の標的となりました。

帯に映っているのは、事件発生当時の帝国議会(国会)で使われていた、帝国議会仮議事堂の議場。現在の国会議事堂は、まだ建設中でした。

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蓑田胸喜・菊池武夫など対美濃部達吉という中心的な対立の構図と重なる形で、鈴木喜三郎(政友会)対岡田啓介(首相)、平沼騏一郎(枢密院副議長)対一木喜徳郎(枢密院議長)等の別の対立軸も存在し、ここに軍部と在郷軍人、右翼団体の思惑が加わり、文部省も関与して「国体明徴運動」が加速します。

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【推薦】
作家・半藤一利氏(『日本のいちばん長い日』『昭和史1926-1945』著者)
「これは昭和史の重要な分岐点だ。現在と酷似する状況に慄然とする」

今回、尊敬する半藤一利さんに推薦文をいただき、戦史研究家として大変光栄に思います。天皇機関説事件は、以前なら「昭和史の一コマ」として傍観者的に見られた出来事だと思いますが、社会の抑圧が次第に強まる空気感や、議会の内外で飛び交う「罵倒の言葉の鋭利さ」などは、過去の話ではありません。

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今回は、書店などで使う宣伝用パネルも作っていただきました。文章を少し直したので、最終版とは少し違いますが。

戦後の日本は、言論の自由や思想の自由が保障された社会で、そんな時代に生きられて幸運だと、戦史や紛争史を研究していると数え切れないほど感じてきました。今後も日本が、天皇機関説事件後わずか10年ほどで歴史上最大の破滅に向かった「病気に冒された時代」に回帰することなく、戦後70年の平和的繁栄の土台となった自由主義や個人主義の価値観が守られる社会であってほしいと願っています。


【おまけ】

名張の高地にも、数日前にようやく桜前線が到来しました。雨風で散る前に、しばしお花見を楽しみました。

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2017年3月27日 [その他(戦史研究関係)]

前回の更新から一か月以上が経過してしまいました。この間、三つの出張旅行があり、それらの情報も含めて、以下にご報告します。まずは告知から。

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3月5日に、学研『歴史群像』誌の最新号が発売されました。私の担当記事は「ハイドリヒ暗殺事件の現場を歩く」(カラー4ページ)と「バルト三国の第二次大戦」(白黒11ページ)の二本です。

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どちらも知られざる第二次大戦の裏面史ですが、前者は昨年現地で撮ってきた写真と自作の地図3点で、暗殺事件とその関連の現場を紹介しています。


続いて、出張旅行について。まず2月20日から27日まで、本の取材を兼ねて中国の上海、蘇州、南京と台湾の台北、新竹に行っていました。

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中国の本土へ行ったのは初めてでしたが、上海、蘇州、南京とも、ホームドア付きの綺麗な地下鉄が整備されている上、タクシーも気軽に利用できるので、限られた時間内で多くの場所を見て回れました。

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上海にある「豫園」という庭園施設。あちこちに散りばめられた凝った装飾が興味深いです。

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1937年の第二次上海事変で、第3師団の先遣隊が上陸した呉淞桟橋付近のようす。今も貨物船などの桟橋として使用されています。

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1937年の第二次上海事変で、第11師団が上陸した川沙鎮の海岸。護岸されていて当時の面影はありませんが、この辺りでは揚子江は海のように広い。

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1937年の南京攻略戦で激戦地の一つとなった、中山門。現在は三つの穴を道路が通る形になっています。

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南京北部の揚子江沿岸。1937年の南京攻略戦のあと、河岸のあちこちで、大勢の中国軍捕虜が日本軍によって殺害され、死体のほとんどは川に流されました(現場にいた複数の日本陸軍と日本海軍の兵士が、その惨状を当時の日記などに書き残しています)。


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中国と台湾でも、シミュレーション・ゲーム(ウォーゲーム)関係の友人とあちこちで会い、情報交換や歓談、ゲームプレイを楽しめました(台北ではGJ「賤ヶ岳戦役」と現地デザイナーの制作中ゲームをプレイ)。

中国では、数年前から若い世代の給料が増えたので、欧米や日本の輸入ゲームも買えるようになり、ボードゲーム全体のマーケットが広がっているとの話。ゲームデザイナーも続々と誕生中です。

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中国製のウォーゲーム。最初の2つは、大坂夏の陣がテーマで、中国のゲーム/エンタメ業界では日本の戦国時代が人気テーマの一つだとか。3つ目は第二次大戦末期のベルリン戦、4つ目は日清戦争の水上戦を扱う戦術級ゲーム。

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こちらは台湾のウォーゲーム付き雑誌『戦棋』の最新号と一つ前の号。最新号の「四平」は、国民党と共産党の「国共内戦」における四平攻防戦がテーマで、両軍の戦闘序列や指揮系統も詳しくて興味を惹かれます。副題の「中国のマドリード」とは、スペイン内戦期の戦いにちなんだ表現。

一つ前の号は、日中戦争初期の1937年に繰り広げられた、第二次上海事変から南京攻略戦を扱う作戦級ゲーム「鐵衛禁軍」。中国軍の編制内容に関する情報も詳しいので、いろいろ参考になります(上海から南京への進撃途上で発生した出来事を考えると、日本人にはなかなかプレイやデザインのしにくいテーマです)。南京攻略戦時の日本軍による中華門突破を扱うミニゲーム「南京! 南京!」もおまけで付いています。



2月28日は家で一服しましたが、3月1日から4日までは、前回の記事で紹介しましたイベント2つと仕事の打ち合わせで東京へ。1日と4日のイベントでは、いろいろな方とお話することができ、私も大いに勉強になりました。特に、上智大学の「ジャパノロジー」研究は、今の社会で進みつつある「自国認識の実質的な画一化」に対抗する上で重要だと感じました。

1935年の天皇機関説排撃論とそれ以後の国体明徴運動において、「日本の国体は万邦無比(他国とは比べものにならないほど優れたもの)」という主観的な自国優越思想が根底にありましたが、その際に多用された論理が「西洋の学説(憲法論、社会論)では日本の国体を正しく評価できない」というものでした。

言い換えれば、1935年〜1945年の日本では自国の制度や文化、歴史認識を外部世界との繋がりとして「相対化・客観視」する視点を捨て、ひたすら自国優越思想の「主観」で絶対化する思考が政府と軍部、国民を支配したとも言えます。おそらく「ジャパノロジー」研究は、それとは正反対の学問です。



3月6日から12日までは、こちらも本の取材を兼ねた旅行で、長崎と沖縄へ。原爆関係と沖縄戦の強制集団死(いわゆる集団自決)関連の場所を主に訪問し、沖縄ではフェリーで渡嘉敷島にも渡りました。

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長崎の眼鏡橋。米軍が計画していた長崎の原爆投下目標は、この眼鏡橋の二つ西に架かる常盤橋という橋でした。投下当日は、第一目標の小倉と同様、長崎も厚い雲に覆われていましたが、一瞬だけ切れ目ができ、爆撃手が目標をきちんと確認せずに投下したとされます。

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長崎平和祈念公園の平和祈念像。

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沖縄のシムクガマというガマ(洞窟)の入り口を内側から見たところ。このガマに隠れていた民間人は、勇気あるリーダーの判断で米軍に投降したため、ほぼ全員が助かりました。



なかなかにヘビーな三週間でしたが、今執筆中の二冊の本に活かせそうな情報をいろいろ得ることができました。来月中旬には、今年一冊目の本が出る予定ですが、それについては改めて告知します。



【おまけ】

中国と台湾、長崎、沖縄で食べた、美味いもの。食という面でも、今回の旅行は大満足でした。

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2017年2月19日 [その他(戦史研究関係)]

今日は雑誌とイベントの告知です。

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まず、今発売中の『週刊金曜日』(2017年)に「氾濫する『反日』という言葉の暴力性」という記事を寄稿しました。産経新聞や月刊『正論』などで多用される「反日」という言葉の定義や使われ方のパターン(大別して三種類に分類可能)を読み解いています。

日本の将来を危惧して、今の首相の政策を批判する人間(政治思想はさまざま)に対し、なぜか「反日」という罵倒が浴びせられることがありますが、その背景にはどんな思考があるのか。過去の日本でも見られた、そういった罵倒の先にはどんな未来が待っているのか。考える一助になれば幸いです。


続いて、イベント二件の告知を。まず、3月1日(水)に明治大学駿河台校舎研究棟2階第9会議室で、宗教学者の島薗進さんとの対談イベント「人のいのちが軽くなる時代 戦前と戦後と2010年代(第298回現代史研究会)」があります。

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今も日本会議などが継承する戦前戦中の「国体」思想が、「人命を軽く評価する価値観」として日本に蔓延した話などについて、思うところを述べたいと思います。参加費・資料代が500円となっています。

第298回現代史研究会


3月4日(土)には、上智大学四谷キャンパス12号館2階202教室で開かれる、こちらのシンポジウムで20分ほど話をする予定です。

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テーマは「政治に従属した戦前の日本研究とその反省」で、戦前(1930年代後半)の日本で、日本研究がいつしか「国体」という宗教的政治思想を理論的に補強する材料に変質していった経過を、改めて反省的に振り返る内容です。参加費は無料です。

どちらも東京でのイベントですが、興味のある方はぜひお運びください。特に、大学生や20代の方に多く来ていただきたいです。

 
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