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2009年8月10日 [その他(テレビ番組紹介)]

昨日の午後9時からNHKで放映されていた、NHKスペシャル「日本海軍 400時間の証言」第一回を、先ほど鑑賞しました(今回はちゃんと録画できました)。

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(画像はNHKホームページより)

ご覧になった方も多いかと思いますが、この番組は海軍の将官や佐官が昭和末期から平成初期にかけて、原宿に集まって完全非公開で行った「反省会」つまり意見交換会の録音テープを基に、戦前から戦中にかけての海軍上層部に蔓延していた「空気」や、史実のような状況および結果を招いた原因や構造についての当事者による分析などを探ろうという、全三回シリーズの第一回です。今日と明日に、第二回と第三回が放送される予定です。

「あの戦争と同じ失敗を繰り返さないため」と言いながら、交わされた意見の内容を非公開にしていたというのは、一見すると矛盾しているようにも思えますが、私は結果的にそのような完全非公開の形で会合を継続したのは正解だったと思います。もしこの内容の一部でも外部に漏れていたら、特定の政治的イデオロギーに固執する方々(R・Lを問わず)が、自分に都合のいいように我田引水したり、あるいは感情的な罵倒を浴びせたりして、参加者の身の安全が保障できなくなり、会合が11年も続くことはなかったと思われるからです。

計400時間にもおよぶ録音テープのうち、番組で紹介されるのは当然のことながらごく一部に過ぎません(番組にも登場された戸高一成氏の編集で同テーマの書籍も出たようなので、仕事が一段落したら読む予定)が、皇族(昭和天皇にあらず)の海軍軍令部への影響力など、今まで正面から触れられることが少なかったと思われる要素も多く、非常に見応えのある内容だったと思います。

皇族のバックを得て大蔵省からの予算獲得も容易に行えるようになり、莫大な予算をつぎ込んで欲しい兵器をどんどん揃えて「世界に自慢できる立派な艦隊」を作り上げたはいいが、いざ日本と外国との関係が緊張状態となった時、戦争をできるかと問われて今さら「態勢が整っていないのでできません」と答えられるはずもなく、また「海軍が弱点を認めれば陸軍や右翼にそこを突かれて国内での戦いに負けるのではないか」との恐れから、戦争遂行以外の選択肢を失ったというのは、どう考えても「軍事的合理性」とは無縁の判断としか言いようがありません。

そして、陸軍でも同様に「中国から今さら撤退すれば、今までの戦死者数を考えれば陸軍の威信と面子が丸潰れになり、また陸軍が弱点を認めれば海軍や右翼にそこを突かれて国内での戦いに負けるのではないか」との恐れから、同様に戦争遂行以外の選択肢を失ったとするなら、当時の日本が戦争回避(およびいったん始まった戦争の自律的な停止)という選択を下すことは事実上不可能だったという結論になります。

「戦争は二度と繰り返してはいけない」という言葉は、今では決り文句のように陳腐化してしまっているようですが、山本七平氏をはじめ多くの先人が指摘されたように、戦争を開始するという決定の背景にあるのが「軍事的論理」ではなく「面子と威信を優先する組織防衛の論理」にあるのならば、いくら軍備を縮小したり防衛予算を減らしたり軍隊を「自衛隊」と呼び変えたりしても、組織内部の価値判断基準を根本から改めない限り、戦争あるいはそれと同種の災厄は繰り返される可能性があり続けます。

最初はソファでリラックスしながら見始めたのですが、途中で姿勢を正さざるを得なくなり、最後は勝手に涙が溢れて、止まらなくなってしまいました。大理石が散りばめられた豪勢な建物の、ごく少数の人間しか上がることのできない立派な階段の上で、当時の海軍軍令部のエリートが長期的な見通しもないまま、戦争遂行の方策を場当たり的に決定していった過程は、過去に読んだいろいろな文献からも多少は読み取ることができました。しかし、書物の活字を通じて「たぶんこういう事情だったのではないか」と薄々考えていたことが、老いた当事者の肉声として拍子抜けするほど軽く裏付けられてしまうと、胸の底から込み上げてくるものを抑えきれなくなってしまいます。

平和な時代に気楽な生活を送る私には、この証言をした当事者の方々を今さら責めようという気持ちはまったくなく、ただ歴史が自らの重みで岩のように坂を転がり落ち、その途中でたくさんの人間を潰していく過程を思い、歴史から教訓を得て後世に活かすというような「誰もが当たり前だと思う発想」が、実はどれほど実現が難しいものかということを、改めて思い知らされた気がしました。もちろん、だからもうそのための無駄な努力はやめよう、などと短絡的な極論に一直線で走るつもりもありませんが。

シックス・アングルズ第13号の「第6の視角」では、今までとは違う視点で太平洋と東アジアの第二次世界大戦を「表現」するゲームのデザイン構想について少し触れましたが、この番組を見て改めて、私なりの「歴史認識の表現手法」の一つとして、このゲームを必ず完成させたいと強く思いました。幸い、出してくれるメーカーを探さなくても、自分のところで好きな部数だけ出版できるので、太平洋戦争に造詣の深い方々のご意見もうかがいながら、自分で納得のいくまでデザイン作業を続けるつもりです。
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2009年5月17日 [その他(テレビ番組紹介)]

今日は、以前にもご紹介しましたNHKスペシャル「マネー資本主義」の第2回でした。第1回に比べると、ややインパクトが弱い印象でしたが、それでも最後まで注視してしまいました。

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(画像はNHKホームページより)

金融政策の「マエストロ(巨匠)」と呼ばれた、いわば「百戦錬磨の名将」である米連邦準備制度理事会の前議長アラン・グリーンスパン氏ですら、現下の「戦況」を大きく読み誤った、そして有効な対応策を見出せなかった、その背景に関する説明がなかなか興味深かったです。また、民主党のクリントン政権は米経済の建て直しに成功し、財政赤字を克服したという説明を今まで漠然と信じていましたが、現在の悲惨な状況がその時に実施された経済政策(ドル高誘導)の「ツケ」だとするなら、ロバート・ルービン元財務長官に対する歴史の評価もまた変わってくるでしょう。

今回の番組はもう一つ、富田靖子主演の低コストな(笑)室内ドラマと並行する構成になっていて、最後の種明かしまで観ると「なるほど」と思いましたが、込められたメッセージの割には芝居が冗長で、時間を食いすぎている印象を受けました。ただ、非常にシンプルな筋立てながら、インターネットによる質と量の両面での情報伝達やそれを活用した新たなシステム(経済取引に限らず)が日進月歩である以上、番組の中で言われていたように、投資や取引そのものが「モンスター化」して誰にも管理・統制できなくなっている(統制する方法が即座には見出せない)という、今回の経済危機の背景に存在する「ルールとシステムの複雑化と頻繁な更新」という問題を、改めて認識させられました。

「市場経済」という概念ひとつとっても、一般主婦の財布の総和が秒単位でウォール街に直結するようなシステムが存在しなかった時代と現在とでは、その構造も影響が及ぶ範囲も、そして経済システム全体にダメージを与えうる破壊力も、当然のことながら大きく異なっています。一定の社会的信用を備えた人間なら、誰でもノートパソコンのキーボードを叩いて資金を借り入れ、それを特定の国の市場に送り込んで運用できるというシステムがこれだけ普及してしまった以上、今さら後戻りは難しいでしょうが、頭のいい専門家の方々が、システムの要所要所に取り付ける安全装置を考案・設置することに成功しなければ、アメリカでの低所得者層向け住宅ローンの破綻が、日本の自動車製造工場における契約社員の大量解雇へと瞬く間に波及するというような、ウィルス感染にも似た災厄がいずれまた発生することになります。

高速道路を猛スピードで走っているバスの摩滅したブレーキを、走行しながら修理する。想像するだけで恐ろしい話ですが、もはや誰もバスから降りられない以上、専門家の智恵にすがるしか選択肢はありません。今の米財務長官(ティモシー・ガイトナー)には、重量が軽くて値段の安いブレーキではなく、重くても高価でも耐久力のある、そしてさまざまなストレスに耐えうるブレーキを付けてもらいたいものです。

なお、第2回の再放送は、2009年5月20日(水)午前0時45分~1時39分(19日深夜)とのことです。
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2009年4月20日 [その他(テレビ番組紹介)]

今日は、またテレビ(しかもNHK)の話題です(増えてきたのでカテゴリーを作りました)。昨晩放送されていた、NHKスペシャル「マネー資本主義 第1回」は、内容に多少の瑕疵(これについては後述)があったとしても、非常に良く出来た「歴史探求番組」だったと思います。

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(画像はNHKホームページより)

この番組は、全5回シリーズで、現在の経済危機を招いた原因や経過、今後の展望を探るという企画です。番組における事実認識の正確さや解説の妥当性については、既にいくつかのブログで異論や批判が出ているようで(興味のある方はグーグルで検索してみてください)、あの番組に出てきた説明や解釈をそのまま鵜呑みにするのは危険だと思います(これは全ての歴史書、特に現代史の研究書についても言えることです)が、一連の問題を理解するための「最初の取っ掛かり」という意味では、非常にわかりやすく、あの番組を観た上で上記の批判的ブログや経済関係の記事などを読むと、問題点の理解がしやすくなっている気がします。

日本のメディアでは、これまで「サブプライムローンとは」「リーマン・ブラザーズとは」などといった、データベース的情報(インフォメーション)はそれなりに多い反面、問題の全体像を示す、いつ誰が、何を意図してそのような仕組みを作ったのか、その結果どのような問題が発生し、それがいかなる分野へと波及したのか、という分析的情報(インテリジェンス)は非常に少なかったように思えます。大きな戦争が起きると、書店には「緊急出版」と銘打たれた「○○戦争の速報本」が次々と並びますが、F117Aの速度とかトマホーク・ミサイルの航続距離など、一般読者にはどうでもいいようなデータベース的情報(インフォメーション)を適当に寄せ集めてページを埋めたような、内容の薄い安易なつくりの本が大半で、1年後にはほとんど価値がなくなっている(兵器の性能や主要緒元に興味がある人は、既にもっといい資料を持っています)場合が多いようです。

それを考えると、ブログなどでいろいろ批判が出ているとはいえ、渦中の問題を生み出した当事者に丁寧にインタビューして「どのような状況下で、何を意図してそのような決断を下したのか」を聞き出しているこの番組は、問題の全体像を知る手がかりとして貴重な材料だと思いました。各投資銀行の業績を示す棒グラフの表現(紆余曲折を経て、劣勢だったリーマンが大逆転して画面からはみ出すほどの業績を残すわけですが…)も秀逸でした。

私がこの番組を気に入った理由の一つは、よくある民放番組のように、番組制作者が自らの道徳観や正義感などの価値判断基準で当事者を安易に断罪したりすることなく、当時の状況と当事者が特定の選択肢を選んだ動機や背景を、可能な限りドライに、淡々と探求しようという姿勢が感じられたことでした。ソロモン・ブラザーズ元会長ジョン・グッドフレンド(すごい名前です)をはじめ、ゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーといった投資銀行の最前線で「戦った」将軍クラスの面々は、当然ながら自分にとって本当に都合の悪い事実は言わないのですが、しかし彼らの口から出た言葉は、当時の状況を知る上での「史料」として重要な意味を持っているはずです。

さらに付け加えるなら、私はこの番組のオープニングCG(と音楽の組み合わせ)に、強い感銘を受けました。なぜか、喜納昌吉の名曲「花」を思い出しました。今この時代の「ある部分」を、これほど見事に映像化した「作品」を、私はすぐには思い浮かびません。人間の社会では、勝ち組・負け組とか、帝王とか超大物とか、一部の成功者と大多数の「その他大勢」の間に、あたかも天と地ほどの差があるかのように錯覚してしまいますが、傘を差した男たちが大空へと吸い込まれてゆくあのCGは、そんな思い込みの浅はかさ、本当はみんな小さい人間の、愚かさと愛おしさといったものを、静かに語っているかのようです。

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明日火曜日の深夜(4月22日の午前0時45分)に再放送されるそうなので、見逃した方には一見をお薦めします。
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2009年2月17日 [その他(テレビ番組紹介)]

先週後半は、文庫本「ドイツ軍名将列伝」の再校作業に没頭していました。長かった作業も、ようやく今週後半に校了となりますが、本が出てから後悔しないよう、残された時間を使って少しでも良い内容に仕上げたいと思います。

またテレビの話で恐縮ですが(しかもまたNHK… 友人や親族に同局の関係者はおりません、念のため)、日曜と月曜の二夜続けて放映されたNHKスペシャル「沸騰都市シリーズ」の第7回(シンガポール編)と第8回(東京)が、宮迫氏のナレーションを含め、期待を裏切らない出来だったので、またここで礼賛させていただきます(興味のない方、すいません)。

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(画像はNHKホームページより)

このシリーズは、新興都市が経済発展に邁進する現象を真正面から描きつつ、そうした発展が常に何がしかの「代償」の上に成り立っているという古典的とも言えるテーマを、善悪の判断基準ではなく、もう少し人間の根本的な感情を微妙に揺さぶる形の表現で、限られた枠内に織り込んで表現しているのが特徴です。そして、経済発展という現象を道義的に「悪」と断じることで、自ら(判断を下す側、つまり取材者・制作者)を正義の立場に置くという安易な手法に逃げず、登場する当事者それぞれの思考や判断を丁寧に拾い上げて、経済発展の光と影の両面と、それぞれの中に存在する希望や豊かさといった数値化できない要素を、結論の押し付けではない、さりげない形で描き出しています。要するに、事実を事実として視聴者に提示し、あとは各自で判断してくださいという、視聴者の判断力を信頼した番組づくりをしている(と思われる)わけです。

シンガポール編では、冒頭で昨年に開催されたF1のシンガポールGP(史上初のナイトレース)の光景が描かれていましたが、あれは象徴的かつ本質を突いた見事な手法で、唸らされました。現代のF1は、スポーツではなく興行の一種ですが、そこでのルール(というかジャングルの掟)は、世界のトップクラスの実績を残し続ける者(ドライバーに限らずデザイナーやエンジニアも)だけがその場所に留まることを許されること、先行投資できる資金を常に潤沢に用意できないチームはほぼ確実に(成績面で)没落すること、そして、契約によって特定のチームに所属しているドライバーもデザイナーもエンジニアも、本質的には組織の一員ではなく「独立した個人」として仕事に携わることなどで、シンガポール政府が国策として進めている世界中からの有能な人材のヘッド・ハンティング政策と全く同じ状況です。

しかし、シンガポールの発展の影には、ビル建設などの現場作業を請け負う膨大な単純労働者(多くはインドや中国からの出稼ぎ労働者)の存在があります。そして、経済状況が悪化すれば、日本企業の派遣社員と同様、特定の人材派遣会社を通じて限定的な就労ビザを得ていた彼らは、すぐに行き場を失って帰国を余儀なくされます。国家予算の支援で上限なしに研究費を使える先端科学者と、仕事を失って同郷の知人に1200円ほどの生活費を貸して欲しいと頼みに行く出稼ぎ労働者の格差は、やはり強烈なコントラストです。

リー・シェンロン首相は、外国人労働者への待遇を記者に問われて「外国人労働者はバッファー(調整弁または緩衝材)だ、経済状況が悪化すれば、私は首相としてシンガポール国民を守るために、彼ら(外国人労働者)を切り捨てる」と堂々と公言していました。日本の首相や経団連の会長が「派遣社員は企業を守るためのバッファーだ」と正直に口にすることはないだろうと思いますが、そのドライな発想は、ゲームプレイ中のプレイヤーの判断と似ているなと思いました。ゲーマー的に言い換えるなら「独ソ戦ゲームのルーマニア軍や北アフリカ戦ゲームのイタリア軍はバッファーだ。勝利得点の高いドイツ軍ユニットは温存し、損害はすべて安い同盟国軍のユニットに適用する」という感じでしょうか。たしかに、こうした方がゲームに勝てる可能性は高くなります。ゲームに勝ちたければ、プレイヤーはルール上許された最も効率のよい方法でプレイすることになります。

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東京編に登場した森ビルの会長も、ヘリで上空から東京の街を見下ろしつつ、新たな開発プロジェクトのアイデアを嬉しそうに練る姿は、やはりゲームのプレイヤーに近い印象がありました。勝っているゲームをプレイしている時ほど、気分が高揚して楽しいものです。しかし、番組を見ていて気づかされるのは、そこには最終的な「勝利条件」が提示されておらず、どこまで行ってもゲームのようにプレイヤーの「勝利」が確定することはない、ということです。シンガポールを、東京を、どんどん開発して高層ビルを林立させて、世界一のビジネス都市にする。そこまでの目標は明確ですが、ではその先はどうなるのか? どんな社会を作って、そこに住む人々の生活はどんな風になるのか? といった、目指すべき「ゴール」がないまま、毎ターン勝利得点をただ獲得し続けているだけのゲームのようにも見えます。何点取ったら勝利なのか、それがルールブックには書かれていないので、とりあえず得点を取り続けて、プレイヤー間でトップの地位を保持するために、立ち止まらずに走り続けなくてはならないのでしょうか。

以上は、私が見終わった直後に漠然と感じたことですが、おそらく見る人によっていろいろな感じ方があると思います。下記の時間に再放送されるそうなので、興味のある方はぜひご覧になってください。今という時代を知り、考える一助になる番組だと思います。


2009年2月18日(水)午前0時45分~1時34分(17日深夜)総合
沸騰都市 第7回
シンガポール 世界の頭脳を呼び寄せろ

2009年2月19日(木)午前0時45分~1時34分(18日深夜)総合
沸騰都市 第8回
TOKYOモンスター
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2009年2月2日 [その他(テレビ番組紹介)]

昨日の夜、NHK「天地人」の流れで夜9時からの「沸騰都市」という番組を観ましたが、両方ともなかなかに見応えがありました。「天地人」は、やはり吉川信長の得体の知れないオーラが良い(笑)。「沸騰都市」は、前回の南アフリカ・ヨハネスブルグ編から見始めましたが、新興都市独特の熱いエネルギーと、急速な変化で生じた社会の軋み、経済発展の光と影、そして「成功者」を目指す人間たちの野心と欲望などが、非常に生々しく描かれていて、よくできた番組だと思いました。

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(画像はNHKホームページより)

ところで、ヨハネスブルグ編とサンパウロ編のナレーションは、新興都市のギラッとした感じがよく出ているなと思っていたら、最後のクレジットで「ナレーター 宮迫博之」とあり、へぇと思いました。お笑いタレントの中には、別の分野で才能を持っている人もよくいますが、この番組のテーマにこの人の声質を合わせたキャスティングの妙、そして、「あの雨上がり~の宮迫がナレーターに挑戦!」などという安っぽい売り込み方をせず、ナレーションの実力「だけ」で真正面から視聴者に評価を問うというNHKの姿勢(と作り手の自信)に感銘を受けました。

最近、民放の視聴率が低迷しているのとは逆に、NHKの視聴率が伸びているということで、各局はお笑いバラエティからノンフィクション系にシフトしているという話ですが、見かけだけ真似てもたぶん思惑通りにはいかないだろうと思います。前にも書いたかもしれませんが、私が民放の地上波の番組をほとんど観る気がしない(BSは民放もけっこう頑張っていると思いますが)のは、テレビ局が本気で、誠実に、何度でも観たくなるようなよい番組を作ってやろうという真摯な気持ちが全くこちらに伝わってこないからです。作っている人の「がさつ」さや志の低さが、臭気のように伝わってくるような番組をうっかり見てしまうと、その後でこちらが取り組む仕事にも悪い影響が出てしまうので、要注意です。

以下はマスコミ関連の本や雑誌、ニュースサイトで得た伝聞情報ですが、民放各局は番組制作のためにスポンサー企業から得たお金から、自分たち(局の正社員)の取り分を抜くだけで、制作そのものは大抵下請けに丸投げしており、その下請けから孫受けの制作会社に投げられる頃には、お金が半分以下に減っていて、それで仕方なく安っぽい作り方で安っぽい番組を作るしかなくなるんだとか。しかし、スポンサー企業も馬鹿ではないので、自分たちの支払っている金額が有効に「広義の宣伝」(個々の商品についての販促だけでなく企業イメージの流布を含めたPR効果)に使われていないと判断すれば、今までのような大金をテレビの広告に出すことの妥当性を再検討するのも当然でしょう。

週刊東洋経済 2009年1月31日号
「特集:テレビ・新聞 陥落! 頼みのネットも稼げない」
NHK独り勝ちの皮肉 民放離れが進むワケ/やむを得ず手を結んだ 産経新聞・毎日新聞の窮乏ぶり/トヨタの大幅削減に戦々恐々 火だるまの広告最前線

コマンド誌の中黒さんと話をしている時にも、似たような話題が時おり出るのですが、発信サイドが真摯な姿勢で仕事に取り組まず、「このくらいでいいだろう」というような安易な気持ちでやっていると、そういう態度はすぐ商品の端々に現れて、お客さんに見放されてしまうというのは、原稿執筆でもゲーム出版でも、そしておそらく他の業種でも、同じだと思います。ニーズが多様化している中では、目標設定も難しい部分がありますが、自分の能力が及ぶ範囲で、少しでもよいものに仕上げようという気持ちだけは強く持って、いろいろな仕事に取り組もうと改めて考えた次第です。

火曜日の「プロフェッショナル」もそうですが、こういう風に自分の中のポジティブな「やる気」を大いに刺激されるという点だけでも、私にとってNHKの良質な番組はありがたい存在です(なので、私は無論、完全に納得した上で視聴料をきちんと支払っています)。
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2008年8月26日 [その他(テレビ番組紹介)]

北京オリンピックが閉幕して、夜中の休憩時になんとなく見る番組が無くなって少し寂しくなりましたが、昨晩(8月25日)放映されたNHKスペシャル「熱投 413球 女子ソフト・金メダルへの軌跡」は、非常に素晴らしいドキュメンタリー番組でした。

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(画像はNHKホームページより)

オリンピックの女子ソフトボールの試合は、準決勝と決勝だけリアルタイムで見ましたが、番組ではそれらの試合を「日本チームの選手側の視点」から、過剰な演出を排して淡々と振り返っていました。アメリカチームのエース投手のフォームを注意深く観察して「投球のクセ」を掴み、投球と同時に「上!」とか「下!」と選手が叫んでいたというのは、試合を見ていた時には全く気づきませんでしたが、さらに興味深かったのは日本チームのエースである上野投手とチームメイトの、試合中の「気持ちの揺らぎ」を丁寧に描いていたことでした。相手チームの4番と真っ向勝負したいという欲求と、チームの勝利を優先する心理の葛藤が、観ている方にも伝わってきて、繰り返しニュース等で見たはずの、最後のバッターを打ち取る瞬間の映像が、今までとは全く違った風に見えました。たった一週間ほど前の出来事ですが、あれも立派な「歴史の瞬間」だったのですね。

この番組に限らず、NHKは本当に良い番組を作ってくれていると思います。私は五輪期間中、野球など民放地上波でしか放送しない番組を除いて、可能な限りNHKの中継で観るようにしていました。その理由は、民放地上波は場当たり的な視聴率を取るためか、底の浅い過剰な演出が逆に興ざめとなって、競技そのものの「素材としての良さ」が感じられないからです。香料などの化学調味料で安易に作る「味」ではなく、肉や魚、野菜などの「素材の味」を活かした番組を真摯に作っているのは、地上波ではNHKだけのような気がします。

おそらく、近いうちに再放送されると思いますので、興味のある方はぜひご覧になってください。
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2007年7月9日 [その他(テレビ番組紹介)]

今日は、音楽関係の話を少し。

7月6日の夜、NHKでイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の特番を放送していて、懐かしい思いで観ていました。私が12歳(小6)の時、というと今から28年も前になりますが、親にねだって初めて買ってもらったLPレコードが、YMOの「ソリッド・ステイト・サバイバー」でした。中学に進学すると、同じようにYMOにハマっていた親友2人と一緒に、心斎橋のソニータワー2階にあったビデオシアターへYMOのワールドツアーのビデオ(赤い人民服を着てプレイしていた1979年のライブ)を観に行ったり、クラフトワークの初来日コンサートに行って会場に隣接するホテルのロビーで「出待ち」し、首尾よく(クラフトワークの)メンバーにサインと握手をしてもらったりした記憶が、頭の奥で次々と蘇ってきました。

私が音楽やデザインなどに興味を持つきっかけとなったのがYMOであり、現役当時についてのインタビューは非常に興味深いものでしたが、そこで長年にわたって私の中で「謎」だったある問題についての疑問が氷解し、妙な感慨を覚えました。「謎」というのは、いわゆるYMOブームが全盛期を迎えて以降、メンバーがなぜかファンの期待を裏切るような行動(カッコイイ存在であって欲しかったのに、くだらないテレビ番組に出演して低劣なコントをやったり、わざわざ武道館で客を怒らせるようなイベントをやったり)を繰り返し、音楽もどんどん「わかりにくくなっていった」のはなぜか、というものでした。NHKのインタビューで3人が語っていた話を総合すると、YMOの知名度が高まってビジネスとしての価値が出てきたことで、自分たちのやりたり方向とは無関係にビジネス上の要求から「やりたくないこと」をやらされるようになって、気持ちが荒んでいったということでした。数年前に行われた「YMO再結成」も、本人たちは「イヤでイヤでしょうがなかった」らしいですが、それは当時の曲を演奏したくないからではなく、会ったこともない人がプロジェクトの主導権を握って、メンバーの意向とは無関係に話がどんどん大きくなったりするのが耐えられなかったそうです。

歴史をひもといてみると、民衆レベルでの人気が予想外に高まったせいで、本人の意向とは無関係に「偶像(アイドル)」へと祭り上げられ、やりたくない役割を演じる人生を送る羽目になった人間を何人も見つけることができます。最近見たNHK-BSの番組で紹介されていた「革命の英雄」チェ・ゲバラなどもその一人だと思います。当時、子供だった私には、ビジネス上の要求から「やりたくないこと」をやらされるという図式は想像もできませんでしたが、社会でいろいろ揉まれた今となっては、当時の彼らの心情を思い描いてみることができます。幸い、私は基本的に「やりたい仕事」ができる環境にいるので、彼らが感じた本当の精神的苦痛を理解できるとは言えませんが、それでも一見良いことずくめに見える「人気」や「ブーム」にも、ネガティブな側面が少なからず存在することを改めて認識しました。

YMOを解散した後、彼らは「ヒューマン・オーディオ・スポンジ(HAS)」という名義で何度か活動を行っており、ライブではYMO時代の曲も演奏しているようですが、このHASのライブや、おとといの「ライブ・アース」での演奏(京都の東寺で行われたYMO名義での出演)を聞くと、音の重ね方が非常にすっきりしていて、曲が持つ本来の魅力がよく出ていたように感じられました。後期から末期のYMOに感じられた「荒んだ印象」が全くなく、心底から楽しんでプレイしているのがよく伝わってきました。ただ、これで人気が復活すると、また「会ったこともない人」が金もうけのために近付いてきて、昔と同じような流れになる可能性もあり、彼らの活躍を願う気持ちと「そっとしておいてあげたい」と思う気持ちが入り混じって妙な心境になります。実際、ふと思いついてYMO関連のページを検索してみると、こんな「公式サイト」の声明に出くわしました。

http://www.ymo.org/

「ごめんなさい」とファンに謝罪する彼らの真摯な態度に、私は深い感銘を受けました。彼らが言う「意図しない商品」とは、レコード各社が競って発売している、同じ曲のアレンジを少し変えただけの「リミックス・バージョン」や過去の音源から曲順などを入れ替えただけの「ライブ・ベスト盤」などを指すと思われますが、我々のようなYMO世代にとっては、金儲けが目的だとわかっていてもやはり気になるものです。「それを目にして、ぼくたちは心を痛めています」「しかし契約上、どうにもならない場合もあります」 この文面を、関係する音楽業界の人々はどんな思いで見ているのでしょうか。どんな分野でもそうでしょうが、「人気」や「ブーム」は諸刃の剣であり、やはり安易に喜ぶべきものではないようです。


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2007年6月27日 [その他(テレビ番組紹介)]

今日は、最近印象に残ったテレビ番組の話題を少し。

NHK衛星放送の「BS 世界のドキュメンタリー」で非常に見ごたえのある番組が2つありました。1つは「アフガン空爆から5年」というシリーズの「よみがえるタリバン」で、もう1つは「イラク 開戦から4年/引き裂かれた祖国(前後編)」でしたが、いずれも現地に住む人々の視点から、米軍のアフガニスタン/イラク攻撃と、その後の時期における国内での政治的状況や日々の生活状況が非常に生々しく描かれていました。

太平洋戦争/大東亜戦争期の日本と同様、アメリカもまた「自由の回復と圧制からの解放」を旗印に、これらの国へと部隊を進駐させましたが、自分たちと現地の人々では根本的な価値判断基準が同じではないという事実を充分に認識しなかったがために、良かれと思ってやった行為が裏目に出たり、熟慮して下したはずの決定を悪意で解釈されたりして、結果的に人々の恨みを増やしてしまう結果となっているようです。今さらアメリカ批判というのも野暮ではありますが、やはり「解放」という大義で戦争を始めるのであれば、現地の人々が持つ価値判断基準をきちんと認識し、彼らが本当に望んでいることを実現できるような統治をしなければ、ほぼ間違いなく失敗に終わることを、米政府の政策決定者は歴史から学んでおくべきだったと思います。

後者の番組は、前編はイラク国内のスンニ派とシーア派の対立、後編は北部のクルド人部族に焦点を当てた構成になっていて、ナレーションは一切入らず、現地の人々の日常生活に密着して携帯型のカメラを回し、集会での発言や説法、路上での会話などを丁寧に拾って編集するという、非常に質の高いドキュメンタリーに仕上がっていました(自分もその場に居合わせているかのようなリアリズムを感じました)。イスラム教徒の説法では、どんな話が語られているのか、また人々は日常生活の中でどんな考えを持ち、どういった概念に高い価値を置き、どのような事象に対して不快感や怒りを覚えるのかなど、文字情報とは違った形で知ることができたのは、今後の仕事にとっても有益でした。

番組の最後に、クルド人の長老が口にした言葉が、特に印象的でした。

  戦っている2人の男に質問した。
  『神(アッラー)はどちらの味方なのだ?』
  2人の男は答えた。
  『神は、勝った方の味方だ』

日本国内で戦争を論じる場合、戦争というのは「みんなが悪い心さえ持たなければ避けられるもの」という前提で語られることが多いですが、紛争史を調べる仕事をしていると、そういう考えで戦争を論じられる国というのは、実は地球上では少数派なのだと思い知らされます。


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古畑任三郎の話 [その他(テレビ番組紹介)]

今年の正月は、ドラマ「古畑任三郎」のシリーズ最終話ということで
放映を楽しみにしていました。けれども、最後のニ話を見終わった
感想は、正直に言って期待外れでした。出演者の演技は、素人の
イチローを含めて文句のつけようがないほど緊迫していたと思います
が、全体の筋立ての作りこみが荒すぎるように思われました。

第一話は観ている途中でドイツから電話がかかってきて、竹馬の
トリックが見破られたあたりまでしか観ていないので論評は控えます
が、残りのニ話は、ほんとうに三谷幸喜が自分で書いたんだろうか、
と思うほど、完成度に疑問が感じられました。私はイチローが嫌いでは
ないので、第二話のテーマに強い興味がありました。しかし、スポーツ
マンだからフェアプレーを愛し、だから犯罪でもフェアプレーで警察と
対決する、という発想は、いかにも安易かつ不自然で、失望しました。

「犯人はフェアプレーを愛するスポーツマン。一方的なワンサイドゲームを
嫌う。だから、接戦になるように、わざと証拠を残してゲームを楽しもう
としたのだ」。三谷は古畑に、番組の中でこう言わせました。しかし、
スポーツが好きな人なら誰でもわかるはずですが、これはスポーツを
「観る者の発想」であって、断じて「スポーツマンの発想」ではありません。
スポーツマンが何より嫌うのは、不正や手抜き、八百長などです。
番組の中でイチローは、わざと手がかりとなるマッチを車に残して
警察との「知的ゲーム」を楽しむ人物として描かれました。でも、野球の
試合で、マリナーズが10対0で勝っている時、彼が「ゲームを面白くする
ために」わざと敵のフライを落としたり、わざと盗塁を失敗したりしたことが
あるでしょうか。もしマリナーズの長谷川が、ワンサイドゲームはつまらない
からといって敵にわざと打ちやすいボールを投げて点を与えていたら、
イチローは恐らく「プロなんだから手を抜くな」と激怒するでしょう。
私が見た限り、番組の中のイチローには、そういったプロのスポーツマン
特有の勝負に対する哲学がまったく感じられませんでした。

第二話の松嶋菜々子が二役を演じる物語では、古畑は双子の妹が演じる
テレビドラマ脚本家とかねてから交友関係にあり、彼女が書く警察ものの
ドラマの台本に専門的見地からアドバイスを与えるという筋立てでした。
そして、双子の姉が妹を殺害し、自分が妹になり代わって「姉が自殺した」
と偽装するというのが、物語の核心でした。しかし、本題の謎解きは別と
して、長い間いっしょに仕事をした大事な友人であり、しかも番組中では
ほのかな恋心すらほのめかされていた、その相手が殺されてまだ1日か
2日ほどしか経っていないにもかかわらず、古畑は嬉々としてジョークを
飛ばしたり、ヘラヘラ笑顔を浮かべて笑ったりしている。状況から考えて、
ありえない行動でしょう。私が「古畑任三郎」をよく観ていたのは、この
ドラマが他の凡百の「サスペンスドラマ」のように、死体も殺人も単なる
謎解きの道具でしかなく、主人公が謎を解いたら万事解決、殺人という
行動が持つ「重み」など紙ペラ1枚ほどにしか感じられないという軽薄さ
があまりなかったからでした。しかし残念ながら、ファイナルのニ話では
三谷幸喜の脚本も「殺人の謎解きを娯楽として楽しむ」レベルに堕して
しまったかと思わざるを得ませんでした。

「古畑任三郎」シリーズの中で、私が名作だと思う一本は、松本幸四郎
が大使を演じた「すべて閣下の仕業」という話でした。ここでは、殺人の
背景として日本と発展途上国との歪んだ関係が巧妙に配置され、一見
すると贅沢を楽しんでいるかに見える「大使夫人」の孤独感や、職場の
上下関係に苦しむ部下たちの悲哀、人間の野心や虚栄心など、単なる
「謎解きゲーム」に終わらないだけの深みを感じさせる作品に仕上がって
いました。この作品のクライマックスで、古畑は殺人を犯した大使にこう
言います。「あなたがこれまでにどれだけ立派なことをなさってきたのか、
私は知りません。あなたが今後、どれほど立派なことをされるのか、
それも興味はありません。しかし、死んでもいい人間なんて、この世には
一人もいないんですよ。」そして、大使が自決する銃声が大使館内に
響いた後、部屋に一人残され、悲痛な表情で目を閉じて額を押さえる
古畑…。再放送で観ても、最初から最後まで見入ってしまう作品です。

この名作と比べると、最後のニ話は「謎解き」の部分でも劣っている部分
があるように思えました。イチローが恐喝者にカプセルを選ばせる時、
彼はどうやって相手に「毒入り」を選ばせることができたのか? 三谷
ファンの石田さんによると、彼はフェアプレーの精神で五分五分の勝負を
挑んだのでは、ということでしたが、私にはありえないように思えます。
なぜなら、もし仮に自分が毒入りカプセルを飲んで死んでしまったなら、
それは彼が慕うお兄さんを最も苦しめる結果となってしまうからです。
犯人が捕まろうが逃亡に成功しようが、イチローの死体が発見されたら
お兄さんは「自分のせいでイチローが死んだ」と打ちひしがれ、死ぬまで
その負い目を背負っていかなくてはならなくなります。また、マスコミや
ファンも「あいつのせいでイチローが死んだ」とお兄さんを責めるので、
お兄さんは遅かれ早かれ自殺という道を選ぶことになるでしょう。実際、
イチローはロッカーで、お兄さんが自殺を考えているのを目撃していました。
兄思いのイチローが、2分の1の確率で兄の人生を破滅させるような
無謀な賭けをするとは私には思えないのです。

また、妹と入れ替わった双子の姉が、番組の打ち合わせなどには全く
出ていなかったのに、番組スタッフの名前と顔を全て知っていて、誰が
誰なのかわかっていたというのも不自然な話です。黄色いレインコートや
記者会見の質問内容以前に、スタッフとの会話を3分ほどしてしまえば
彼女が本物の「妹」でないことはすぐに関係者にばれてしまうはずです。
番組が始まって最初の頃には、「ブルガリ三四郎」という名前に笑って
しまうこともありましたが、設定上の名前で笑わせるというのは芸人の
「顔芸」と同じで、脚本(芸)に対する自信の無さの現れとも解釈できます。

物語の最後に明かされる「犯行偽装のトリック」は、論理的にはなるほど
と納得させるものですが、しかし人間はロボットではありません。私が、
このファイナルのニ話に失望感を感じたのは、「古畑任三郎」シリーズの
締めくくりが、論理だけで物語を構築するような、パソコンの推理ゲーム
に近いレベルで終わってしまったからでした。最終話の最後のシーンで、
犯人と踊っている古畑には、血が通っているようには思えませんでした。
2時間ものを3話書くのにどれだけの時間と労力が必要なのかは私には
わかりませんが、三谷幸喜本人は、はたしてこの「ファイナル」の完成度
に満足しているのでしょうか。


2005年12月3日 [その他(テレビ番組紹介)]

普段はあまりテレビを見ない生活をしていますが、今日はたまたま夜に
仕事をしながら、2時間ものの番組を続けて観てしまいました。

1本目は「古代歴史ミステリー ファーストエンペラー始皇帝の真実」。
中国の兵馬俑には前々から興味があり、一度本物を見てみたいと
思っているので、その背景を知りたいと思ってチャンネルを合わせました。
趙高の「復讐動機説」は、某有名アニメにも似たような物語があったと
記憶していますが、しかし「当事者しか知らなかったこと(遺言書の内容
など)を『史記』の著者である司馬遷はどうやって知ったのか」という
疑問にも一理あり、真相を探るのはなかなか難しそうです。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/016.htm
日本の「忠臣蔵」も、史実の政治的背景はけっこう複雑ですし、やはり
歴史における人物評価は難しいと改めて思い知らさせた次第です。

2本目は、チャンネルをそのままにしておいたら勝手に始まっていた
「山田太一ドラマスペシャル・終戦60年特別企画 『終りに見た街~
朝目覚めたら、昭和19年だった!夫婦は?親子は!? 戦争を生き抜く
現代家族の愛と絆…衝撃の結末』」。
主演の中井貴一と奥さん役の木村多江の好演が印象的でした
(名優が目白押しだった唐沢版「白い巨塔」でも、製薬会社のキャリア
ウーマン役を演じた木村多江の演技はひときわ光っていました)が、
結末は確かに「衝撃的」でした。何か、製作サイドに政治的意図でも
あるのかと疑うような、必然性がよくわからない話の持って行き方だった
ように思えます。エンディング直前にいきなり表面化した、大人世代と
若い世代の思考の断絶も、妙に後を引くものでした。

番組の大半を流れていたのは「戦争中は自由がない」「ものがない」
「戦争はいやだ」「だから現代の生活はすばらしい」という、今の日本での
常識的な価値判断基準で、中井や木村は当然のごとく「あの戦争は
まちがいだった」という(正しいはずの)結論から思考を出発させています
が、軍需工場や郵便局で同年代の若者とじかに接していた子供たちは、
国のためにいっしょうけんめい我が身を捧げる「彼らの価値判断基準」を
素直に受け入れてしまっていました。そして、大人は結局、(空襲の開始
で対話の時間がわずかしかなかったとはいえ)彼らを説得するだけの力
を持つ言葉(論理)を用意できませんでした。こうした「価値観の衝突」と
いうか、現代の価値判断基準で過去の出来事を安易に断罪する「常識」
に疑問を投げかけたという点は大いに評価できるところですが、それが
ドラマの主題であったにしてはあまりにも「価値観の衝突」部分の扱い方
が小さすぎるように思えました。当時の価値判断基準を無視して、現代
の価値判断基準だけであの戦争を論じることは、無益であるだけでなく
ある種の「暴力」と言えるほどに当時の人々に対する配慮に欠ける行為
だと私は考えていますが、それと「あのエンディング」を論理的にどう結び
つけるべきなのか、自分の中で答えが出なくてモヤモヤしています。

もし、あの番組をご覧になった方がおられましたら、ぜひご感想をお聞か
せ下さい。


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