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2019年2月17日 [その他(雑感・私生活など)]

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久々の更新です。2019年の1月は、後述するように、昨年から執筆してきた新書の脱稿とミャンマー(旧ビルマ)旅行、雑誌原稿(『歴史群像』誌次号の巻頭記事「朝鮮戦争 前編」)の執筆と沖縄旅行という慌ただしさで、ブログに手をつける余裕がありませんでした。

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まず、1月発売の『歴史群像』(学研)第153号に、私の担当記事「二つのイタリアと第二次大戦」が掲載されています。第二次大戦の歴史で光を当てられることの少ない領域の一つである「枢軸国イタリアの連合国との休戦と、それ以後の南北に分裂したイタリアの戦い」を、政治と軍事の両面から読み解いています。

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軍事や戦史のマニアの間では、兵器の性能が総じて低く、個々の「戦闘」の敢闘精神で日独に劣る第二次大戦期のイタリア軍をバカにして見下す風潮が根強いですが、価値判断の基準を少しずらして国民の戦争全体との向き合い方を俯瞰すると、むしろ日本やドイツよりも「賢い部分」もあったように思います。


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1月10日から15日までは、ミャンマー(旧ビルマ)のヤンゴン(旧ラングーン)と古都バガンを旅行しました。昨年『歴史群像』誌に「ビルマの第二次大戦」という記事を書いたこともあり、ヤンゴンでは「独立の父」アウンサン将軍とビルマ近現代史に関連する場所を見学して、理解を深めました。

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ミャンマー訪問は初めてでしたが、ラオスと同じように人がとても穏やかで、居心地良く過ごせました。買い物をする時、間違えて余分にお札を出しても、超過分を返してくれます。寺院等では入口から裸足が決まりで、歩くと平穏な気持ちになり、仏像の前に座るたびに自然と手を合わせる心境になりました。

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ミャンマー(旧ビルマ)のヤンゴン(旧ラングーン)にある「ボージョー(将軍)・アウンサン博物館」。独立の父と称されるアウンサンが、1945年5月から暗殺される1947年7月まで住んだ邸宅(建物自体は1921年に完成)で、二階建ての館内には彼の生涯とビルマ独立運動指導者としての活動が説明されています。

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こちらは、アウンサンが独立運動の司令部として使用した建物ですが、今はレストランとして営業中。二階の一室はアウンサンの執務室で、当時彼が使用した机やタイプライターなどが展示されています。

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ヤンゴン(旧ラングーン)の中心部にあるシュエダゴン・パゴダ。パゴダとは仏塔を中心とする仏教の参拝施設で、ここは規模が大きく、周囲の緑地も含めれば東京ドームより広いとのこと。中央の一番大きな仏塔は五年に一度の修復が行われていたが、その周囲にもお堂や祠が建ち並び、くつろいで休憩できます。

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お堂や祠には、金箔や宝石をふんだんに使った装飾が施されており、じっくり観察すると時間が経つのが早い。参道では、生年月日から算定する八つの曜日にちなんだ花が売られており、私は月曜日だったのでその花束を買って、月曜の神様のところにお供えしました。水かけ不動のように、仏像に器で水をかけます。

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ミャンマーのヤンゴン(旧ラングーン)中心部に残る英植民地時代の建物。ミャンマー港湾局(1928年)、ヤンゴン地方裁判所(1900年頃)、元最高裁判所(1908年)。縦横に区画整理された街並みで、大通り以外の細い道には露店が建ち並んでいますが、朝夕は道路が激しく渋滞します。

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ミャンマーのバガンにあるニャウンウー空港。外国人旅行者はここで、5日間の入域料として25000チャット(約1800円)を支払います。あとは寺院や仏教遺跡をいくら見学しても無料。私は充分に元が取れました。

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古都バガンでは、到着日と翌日の丸二日、レンタル電動バイク(一日約600円)に乗って、一三世紀前後に作られた仏教の寺院と遺跡を見て回りました。広大な場所に仏教遺跡の尖塔が林立し、空気が乾燥しているので劣化が少ない遺跡内の壁画も興味深く鑑賞しました。ミャンマーにおけるヤンゴンとバガンの関係は、ラオスのビエンチャンとルアンパバーンと似ています。

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ミャンマーのバガンは、エーヤワディー川(イラワジ川)のほとりにあります。川はここで西向きから南向きに流れを変えるので、バガン南部の河岸ではきれいな夕陽と夕焼けを満喫できます。対岸の遠くに見えるのは、ミャンマーとインドの国境付近に連なるアラカン山脈。イラワジ川とアラカン山脈といえば、太平洋戦争末期に行われた、あの作戦を思い出しますが、日本兵もこの美しい景色を見ていたのでしょうか。

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シュエサンドー・パゴダ。十一世紀に建てられた仏塔で、高さは45メートル。

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ダマヤンジー寺院。十二世紀に建てられた寺院で、バガンで特に強い印象を受けた建造物の一つ。ガイドブックの写真ではわかりませんが、他の寺院よりサイズがでかくて、古城のような威容に圧倒されます。シュエサンドー・パゴダの方から細い道を走っていくと突然これが目に入り、宮崎駿のアニメに入り込んだような錯覚を覚えます。

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エーヤワディー川(イラワジ川)に沈む太陽。


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ミャンマーから帰国したあと、1月19日には、大阪の隆祥館書店での相澤冬樹さん(『安倍官邸vs.NHK』著者)のイベントにゲストとして登壇しました。会場は大盛況で、部屋の隅までお客さんで埋まり、財務省の国有地不正払い下げ疑惑やNHKと権力の癒着状況など、幅広い話題で盛り上がりました。


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1月27日から31日までは、四泊五日で沖縄へ行ってきました。今回は本島の那覇周辺と久米島で過ごし、珍しい自然や博物館、戦史・紛争史関係の場所を見て回ったほか、琉球新報本社の勉強会で講師として少しお話しました。また、牧志から安里まで古書店を何軒かはしごして、沖縄戦や戦後の沖縄に関する段ボール一箱分の古書を買い、自宅へ別送しました。

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沖縄の久米島と橋で繋がった奥武島の海岸にある「畳石」。亀の甲羅のような六角格子の石が並んでいるように見えますが、実はこれらは「冷えた溶岩の柱」で、地中深くまで伸びているらしい。水の透明度が高くて、水たまりには小さい魚やカニがいました。

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久米島の北部にある「ミーフガー」という奇岩と、南部にある「鳥の口」という崎。後者の名前の由来は、手前下に写っている「口を開けた鳥」に似た高い岩で、左奥の衛星通信施設(白い球)から遊歩道でテクテクと歩いて登る。久米島ではレンタカーを借りて島内を回りましたが、海水浴のシーズンオフのためか、今回は久米島のどこに行っても貸し切り状態でした。

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久米島のサトウキビ畑の一角にある「痛恨之碑」。久米島では、朝鮮人を含む住民20人が、沖縄戦の実質的な終結後に、米軍ではなく駐留していた日本軍人によってスパイ容疑等で虐殺されました。日本軍人に殺された住民の中には、赤ちゃんもいました。今年刊行予定の単行本でも、この出来事について説明しています。

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久米島の大岳小学校南側の駐車場そばに建つ、沖縄戦で亡くなった島民の慰霊碑と顕彰碑。市民を虐殺した日本軍の通信部隊の指揮官は、米軍と接触した島民をスパイ容疑で虐殺したあと、自分は米軍に投降して戦後も生き延びました。メディアの取材を受けた彼は、自分は間違っていないとして謝罪を拒否し、居直っていました。

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沖縄の屋根の上や門の上にいるシーサー(厄除け、守り神の獅子)たち。通りをぶらぶら歩いていると、街のあちこちにいます。それぞれの性格が顔や姿に表れているようでおもしろい。

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那覇市内では今回は車を借りず、モノレールとバス、タクシー、徒歩で移動しました。モノレール駅のエスカレーターにも、琉球新報と沖縄タイムスの社屋にも、県民投票の広告が。とりあえず全県民が投票できる、当たり前の状況に戻って良かった。

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観光客が絶えない那覇の首里城にある守礼之門から、わずか90メートルほど離れた場所にある、第32軍司令部壕の入口。現在は封鎖されていますが、高台にある首里城の地下に作られた司令部施設の出入り口で、中学生から成る「鉄血勤皇隊」の少年が、砲弾の降る中で、壕の警備や伝令などの軍務に就いていました。

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こちらは、観光客が絶えない首里城そばにある玉陵(琉球王国時代の王墓)から、わずか50メートルほど離れた場所にある、一中健児の塔。鉄血勤皇隊に参加して命を落とした一中(沖縄県立第一中学校)生徒の慰霊碑で、隣接する展示館では、十代の中学生がどれほど過酷な境遇に置かれていたのかを学べます。

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沖縄・那覇の奥武山(おうのやま)公園にある島田叡元沖縄県知事の記念碑。兵庫出身の島田知事は、太平洋戦争での日本の敗北が決定的となっていた1945年1月に「他になり手がない」沖縄県知事として赴任し、戦火の中で(天皇でなく)県民のために最後まで尽力して亡くなった人物で、市民が玉砕や自決することを戒めました。

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大田實海軍中将が「(沖縄)県民に対し後世特別の御高配を」と打電して自決した旧海軍司令部壕を今回初めて訪れましたが、沖縄にある他の戦争関連の施設とは空気が違っていました。売店で戦艦大和グッズをたくさん並べている時点で、方向性が違うとわかる。戦没した海軍軍人の顕彰と慰霊が、施設の第一の意図。

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沖縄・那覇のシーサイドにある「不屈館」。戦後の沖縄で県民のために尽力した政治家・瀬長亀次郎の功績を称える博物館で、彼の足跡を追うことはそのまま戦後の沖縄県民の苦難を知ることにもつながります。同じ日本の一部なのに、なぜ沖縄県民が戦中も戦後も、現在も、過剰な理不尽を背負わされ続けるのか。いろいろなことを考えさせられる場所でした。

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琉球新報本社での勉強会で使用した資料の一部。今の日本のメディア状況の問題点を読み解く視角はいくつか考えられますが、今回は「民主主義国と権威主義国のメディアの違い」という角度から光を当ててみました。右か左か、という時代遅れの分類法では、問題の核心に近づけず、逆に遠ざかるのでは、と思います。


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それから、いま書店で発売中の『週刊金曜日』最新号は、NHKの問題点を批判・検証する特集ですが、私も岩田明子解説委員兼政治部記者に関する記事を寄稿しました。国民から強制徴収する受信料で高い給料を得ながら、特定の権力者にピッタリ寄り添い奉仕する態度は、政権が何党であるかに関係なく、公共放送の役割を逸脱した国民への背任だと思います。

今月は、少し時間に余裕があるので、しばらく停止していた電子書籍の刊行を再開しようかと思っています。『ロシア内戦』『シベリア出兵』『チェコスロヴァキアの第二次大戦』『モンゴルの第二次大戦』『インドの第二次大戦』などが候補です。いずれも『歴史群像』誌に掲載された記事の電子化ですが、関心のある方は、ぜひご期待ください。

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ミャンマーのバガンで道路をのんびり進む牛車。


【おまけ】

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ミャンマーでは、特徴的な油っぽいカレー(ヒン)のほか、麺類をいろいろ食しましたが、細いビーフン(米粉)からうどんような太い麺まで、種類が豊富でした。気温が高くて空気が乾燥しているので、一日あちこち歩き回ったあとのビールが美味い。1枚目はエビのカレーで、大きなエビがどっかり入っていました。

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こちらは、沖縄で食べた美味しいもの。山羊汁、ラフテーの炒飯、久米島のざるもずく(店主が採ってきた太くて長いもずくをごまだれに浸けていただく)、島どうふ。左の豆腐に乗っている小さい魚は、スクガラスというアイゴの稚魚の塩辛で、豆腐と良く合います。山羊汁は前回もいただきましたが、これを食すと沖縄に来たと実感できます。

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日本では沖縄にしかない米国系ファストフードチェーン「A&W」のThe A&Wバーガーとポテト、そしてルートビア。沖縄の人はA&Wを「エンダー」と呼ぶ、と琉球新報の人に教えてもらいました。
 
 

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2018年12月31日 [その他(戦史研究関係)]

2018年も、今日で終わりとなりました。今月は、来年春に刊行予定の新書の原稿執筆に明け暮れており、食事くらいしか楽しみがない日々ですが、12月8日に大阪の立命館大学いばらきキャンパスで、香山リカさんらと共に講演を行いました。

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私の演題は「ヘイトスピーチと歴史修正主義の根底にあるもの」。戦史・紛争史研究と、どんな関係があるのかと思う方もおられるかもしれませんが、近現代史に詳しい方ならご承知のとおり、特定の外国人や国内の少数派を敵視して存在価値を否定するような「ヘイトスピーチ」は、過去の紛争や戦争、大量虐殺の前段階としてしばしば見られる、いわば「戦争や紛争の初期症状」とも呼べる現象でした。

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また、自国の過去の歴史を特定の政治的価値観に沿う形へと歪め、過去に起きた不都合な出来事を否認する「歴史修正主義」も、1930年代の日本を含む全体主義の権威主義国によく見られる現象で、自国優越思想の土台としても用いられる言説でした。そして、「ヘイトスピーチ」と「歴史修正主義」の両方の根底にあるのが、麻薬のように人の心を酔わせる「排外的で権威主義的な自国優越思想」です。

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従って、この二つの社会現象は、決して甘く見てよいものではなく、将来において国の進路を誤らせる効果を持ちうる、危険な「前兆」として捉える必要があるように思います。1930年のドイツや日本の状況を見て、人々はなぜ道を誤ったのか、何かできることはあったのではないか、と、後世の我々は気軽に論評しますが、もしかしたら今の日本人もまた、後世の日本人や外国人から「あの時代の日本人はなぜ道を誤ったのか」「それに抗うためにできることを全てやったのか」と論評される時代が来るかもしれません。そんな、同時代人としての当事者意識を持つことが必要ではないか、と私は最近特に強く感じているところです。もちろん、これが杞憂であればいいのですが。


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今年は、2月に『[新版]西部戦線全史』(朝日文庫)、4月に『1937年の日本人』(朝日新聞出版)、6月に『[増補版]戦前回帰 「大日本病」の再発』(朝日文庫)を上梓したほか、毎号寄稿している雑誌『歴史群像』(学研)では7月発売号で付録のボードゲームも制作・デザインし、大きな反響を得ることができました。

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来年は、春頃に単行本一冊と新書一冊が刊行予定で、それ以外の予定もいくつか決定しています。本の内容については、タイトルや発売日が確定次第、改めて告知しますので、ぜひご期待ください。来年もよろしくお願いいたします。


【おまけ1】
執筆の仕事の合間に、来年アメリカのコンパス・ゲームズ(Compass Games)社から発売予定の新作ボードゲーム『フォー・マザーランド!(For Motherland !)』のプレイテストを友人と行っています。テーマは第二次大戦期の独ソ戦(ドイツとソ連の戦い)で、昔デザインした『ウォー・フォー・ザ・マザーランド』をリサイズしてよりプレイしやすく、またより歴史再現性を高めた内容に仕上がりつつあります。

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同社の公式サイトでは、既にプレオーダー(予約注文)が行われており、ユーザーの反応は上々とのことです。

コンパス・ゲームズ社の公式サイト


【おまけ2】
私の住む名張市では、毎年夏に花火大会が開催されていますが、今年は豪雨と重なったため、11月に延期されていました。そして11月24日の夜に予定通り開催され、私は地元の友人と一緒に観に行ってきました。

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この頃には既に気温がだいぶ低くなっており、ちびっこたちは防寒着で観覧していましたが、適度に風が吹いて空気が澄んでいたこともあり、真夏の花火とは違った美しさがありました。

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これらの写真は、ポケットに入るコンパクトなデジカメで撮影しましたが、三脚に据えて「花火モード」にすれば、うまい具合に光跡を写し込むことができました。

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それでは皆様、よいお年を!
 
 
 
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2018年11月25日 [その他(戦史研究関係)]

先月は結局、忙しくてブログの更新を行えませんでした。ということで、二か月ぶりの更新です。

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まず、11月初めに『歴史群像』誌(学研)の第152号(11月号)が発売されました。今回の私の担当記事は「ウラーソフ将軍とロシア解放軍」で、第二次大戦中にドイツに降伏したあと、ソ連のスターリン体制打倒という大義を胸に抱いて義勇兵となってドイツ側で戦った、100万人を超えるソ連軍将兵たちの葛藤と苦難の物語です。

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記事では、ロシア解放軍創設以前に大量に編成され、西部戦線のノルマンディー上陸作戦の戦場でも戦った「オスト大隊」についても書いています。戦争という嵐の中では、将軍ですら小さい存在でした。

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上の画像は、記事中でも図版として使われていますが、親独義勇兵組織の指導者ウラーソフが署名してソ連兵の頭上に撒かれた宣伝ビラの一つ。


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11月5日から8日までは、内田樹さん並びに氏の門人の皆さんと一緒に韓国へ行ってきました。内田さんは、韓国の教育関係者向けの講演を二回行われ、私は韓国の近現代史関連の博物館などをたくさん見学でき、とても楽しく充実した韓国滞在でした。ソウルの気候は思っていたほど寒くはなく、ちょうど紅葉の季節を迎えていました。気候の乱れのせいか、今年の日本では紅葉がまだらに進み、一本の木でも赤や黄色の葉と緑の葉が混じっていたりしますが、韓国の秋の景色はとても良い感じでした。しかし意外と坂が多くて、一日歩き回ると結構疲れました。

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韓国の近現代史に関する博物館の展示内容は、かつてこの国を併合し支配した国の人間にとっては重いものが多いですが、日帝(大日本帝国)の非人道的行為だけでなく、戦後の軍部独裁政権時代の自国民に対する非人道的行為に関する公的博物館もあり、日本国内の現状との違いを改めて認識させられました。

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ソウルの明洞聖堂(1898年完成)。最近日本でも公開された韓国映画『1987、ある闘いの真実』でも描かれていたように、ここは軍部独裁時代の韓国で、民主化運動の重要な拠点の一つでした。私が訪れたのは朝九時過ぎで、聖堂建物の南側では、朝日を背にした聖母マリア像の前にひざまずいて祈る信徒の人がいました。

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ソウル駅東方の丘の上に建つ、安重根の銅像。隣には彼の記念館が併設されています。1909年10月26日に満洲のハルビンで伊藤博文を暗殺した韓国の民族主義者として知られる人物ですが、安重根は韓国に対する日本政府の理不尽な諸政策は「伊藤個人の悪辣さ」が原因だと理解していた模様。つまり彼は単純な反日活動家ではありませんでした。日中韓の対等な連携を提唱していた記録もあります。

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ソウル市内にある戦争記念館。朝鮮と韓国が経験した戦争を扱う軍事博物館で、朝鮮戦争に関連する地図や文書、装備のほか、平壌占領時に韓国軍部隊が捕獲した金日成の専用車(ソ連製のZIS110リムジン)も展示しています。

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屋外には朝鮮戦争で使用されたものを中心に、戦車や航空機、火砲などが並んでいます。ソ連製のカチューシャ・ロケットもありました。

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中之島の中央公会堂に似た建物は、ソウル駅の旧駅舎。中央公会堂や東京駅を設計した辰野金吾の弟子の塚本靖が設計し、日本統治時代の1922年に建設が始まり、1925年に完成しました。隣接する新駅舎の開業で駅舎としての役目を終え、今は「文化駅ソウル284」という展覧会等を行う施設として公開されています。

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ソウル駅から1キロほど南方にある、かつて「南営洞対共分室」があった建物。映画「1987、ある闘いの真実」で描かれたように、ソウル大学の学生朴鍾哲(パクジョンチョル)君が、ここで警察の拷問を受けて死亡しました。現在は「警察庁人権センター」と「朴鍾哲記念展示室」として警察が反省的に公開しています。建物の1階、4階、5階に関連の展示室があり、5階には1987年1月14日に朴鍾哲君が水攻めで殺害された「事件現場」と、フロア全体を占めるそれ以外の独房が公開されています。

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朴鍾哲君が拷問で殺害された部屋。窓は縦長のスリット状で、脱走や自殺を図れないよう、横幅は人間の頭よりも狭い。ドイツのダッハウ強制収容所等とも近い雰囲気です。4階には、1980年代の民主化運動と朴鍾哲君の事件に関する展示がある「朴鍾哲記念展示室」と、それに隣接する「人権啓発センター」があり、後者ではイギリスのマグナ・カルタ(大憲章)などを引用しながら、政府や警察などの権力の横暴から守られるべきものとしての市民の人権の重要さを説明しています。

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ソウル駅から南西に1キロほどの場所にある孝昌(ヒョチャン)公園には、韓国の民族運動指導者・金九(キム・グ)の墓と、彼の配下で日本に対する武力闘争を行った「義士」の墓が並んでいます。李奉昌(イ・ポンチャン)は、1932年に東京の桜田門付近で昭和天皇の暗殺を試みて失敗し、死刑となった人物。

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孝昌公園にある「義烈祠(ウィヨルサ)」。金九をはじめ、李奉昌(イ・ボンチャン)、尹奉吉(ユン・ボンギル)、白貞基(ペク・ジョンギ)など、韓国独立運動で日本に対する武力闘争を行った「義士」7人の影幀(肖像画が描かれた掛け軸)が安置されている祠堂で、1990年に建立されました。

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孝昌公園の敷地内に建つ、白凡記念館。白凡とは金九の別名で、韓国独立運動の指導者としての功績を称える内容の展示がなされています。第二次大戦中は、中国の重慶で韓国の在外政府(大韓民国臨時政府)を指導し(ただし承認国はなし)、日本の敗戦後は米ソによる南北分断の信託統治に反対する運動を指導しましたが、対米従属的な李承晩と対立し、韓国軍の一将校によって1949年6月26日に暗殺されました。米国政府との関係は微妙で、日本敗戦後は親米派の李承晩との政争に敗れましたが、重慶時代は「韓国光復軍(KLA)」を編成し、米国の特務機関OSSの支援を受けていました。

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ソウル中心部の光化門広場にある、世宗(セジョン)大王の像。十五世紀に李氏朝鮮の第4代国王だった人物で、ハングルの創製を行った国民的英雄として尊敬されています。一万ウォン紙幣にもこの王の肖像画が記されていますが、その一方で仏教徒の弾圧や中国(明)への少女貢進などを政策として行っていました。

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世宗大王像の近くにある大韓民国歴史博物館の展示物。日本統治下で「帝国臣民」とされ、毎朝皇居を遙拝することを強制された朝鮮の人々は、戦時には徴兵や徴用などで日本の行う戦争に加担させられていました。日本と朝鮮(韓国)の立場が逆だったら、と想像すれば、その意味を理解できます。日本が大韓帝国の植民地となり、韓国軍に日本人が徴兵・徴用されていたら。

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金九らの指導した大韓民国臨時政府の、中国での移転を示した地図と、日本降伏後の朝鮮半島で米ソ両国が便宜上の統治境界線として設定した北緯38度線の境界標。もし日本がソ連参戦前に降伏していたら、大韓民国臨時政府が光復軍と共に帰国し、朝鮮半島は分断されずに統一国家となっていた可能性があります。

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ソウルの光化門広場の北にある景福宮。李氏朝鮮時代の十四世紀末に造られた王宮ですが、日本統治時代には、王宮を完全に塞ぐ形で朝鮮総督府の近代的なビルが敷地内に建てられていました。正面の光化門は別の場所へ移設されましたが、敷地内の建物の九割が破壊されました。こうした行為に、統治者としての大日本帝国政府の傲慢な悪意が表れているようです。景福宮は、日本に併合される前の1895年10月8日に起きた「乙未(いつび)事変」、つまり閔妃暗殺事件の舞台でもありました。日本人と朝鮮人の手下を使い、同地の敷地内で朝鮮国王の王妃を殺害した首謀者の三浦梧楼公使(予備役中将)らは、逮捕されて日本で裁判にかけられましたが、全員無罪放免となりました。

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ソウルの景福宮の北側にある青瓦台(チョンワデ)。韓国の大統領官邸で、朴正煕大統領時代の1968年1月21日には北朝鮮の特殊部隊が朴大統領を暗殺するため、この場所から数百メートルの場所まで接近しました。2007年に学研から出たムック本『世界の特殊作戦』で、この事件について記事を書いたことがあります。この朴正煕大統領暗殺未遂の報復として、韓国側も北朝鮮軍の侵入者と同人数の31人から成る金日成暗殺部隊を極秘裏に編成し、仁川の沖にある実尾島(シルミド)で訓練しました。しかし南北融和で暗殺計画が放棄され、政府から闇に葬られようとした暗殺部隊は反乱。これが映画『シルミド』の背景となる実話です。

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北緯38度線付近を訪れるDMZ(非武装地帯)の見学ツアーにも参加しました。1953年の休戦協定締結後に捕虜交換で使われた「自由の橋」や、北朝鮮が韓国侵入用に掘ったトンネルの中、北朝鮮が望める展望台などを見て回りました。次回は板門店のJSA(共同警備区域)にも行きたい。

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北緯38度線の境界近くにある都羅山(ドラサン)駅。分断されている京義鉄道を復旧し、ソウルから平壌まで繋ぐことを想定した韓国最北端の駅で、行き先表示には「平壌」の地名が記されています。北緯38度線という境界は、1945年も1953年も便宜上決まったもので、遅かれ早かれ解消される日が来るだろうと思います。

今月は、長く取り組んできた単行本の原稿と『歴史群像』誌の来年1月発売号の担当記事(イタリア内戦 1943-1945)を既に脱稿し、年内は来年出る新書の執筆に没頭します。テーマや発売日等は、年明けに改めて告知します。


【おまけ】

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韓国で食べた美味しいもの。昼食にキンパ(海苔巻き)とわかめスープを頼んだら、この写真を撮ったあと、スープに小皿とごはん一膳が付いてきました。しかし旅行中は食欲が旺盛になるので、結局完食しました。

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栄養満点の参鶏湯(サンゲタン)。鶏は骨まで全部食べられます。

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ソウルで食した平壌冷麺。韓国の冷麺は、ハサミで切るほど麺が硬い印象ですが、こちらは冷たいおそばのような感じで硬くはなく、ダシの効いたスープと共に、美味しくいただきました。暑い夏よりも寒い冬に、暖房の効いた部屋で食べる料理らしい。

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唐辛子を利かせた肉料理と石焼きビビンバ。滞在中に食べた料理は外れなしで、どれも大満足でした。

 
 

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2018年9月28日 [その他(雑感・私生活など)]

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2018年も、ほぼ4分の3が過ぎ去りましたが、いくつか告知です。

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まず、『歴史群像』(学研)の第151号が9月6日に刊行されました。今号の私の担当記事は「ビルマの第二次大戦」で、太平洋戦争とその前後の時期におけるビルマ(現ミャンマー)の動向を俯瞰的に描き出す内容です。当時の日本軍にとって大きな関心事だった「ビルマ・ルート」の実情や特務機関「南機関」の活動についても解説しています。

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太平洋戦争最中の1943年8月、日本は「大東亜共栄圏」の範疇でビルマの独立を認めましたが、秘密軍事協定により、日本軍は引き続きビルマ領内で自由に駐留し、そこから周辺地域への軍事作戦を行う権利を保持し続けました。当然、ビルマ側では日本に対する失望が広がり、1945年3月の対日反乱へと繋がっていきます。

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現在の日本の一部では、「東南アジアの植民地は日本軍のおかげで独立できた」というような雑な歴史認識が声高に語られていますが、その実情はどのようなものであったかについても、参考にしていただければ幸いです。

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最新号の読者コーナーでは、前号(第150号)の付録ボードゲームに対する反応の数々がたくさん掲載されていました。編集/制作サイドの予想を超える大反響で、企画としては大成功でした。昔ウォーゲームをプレイしていたという人も、やはり読者の中に多かったようです。

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モスクワ攻防戦」も「バルジの戦い」も、戦史の雰囲気を味わいながら手軽にプレイできるボードゲームなので、ぜひ長く楽しんでください。



中旬の9月15日から19日までは、横浜と東京に行っていました。年内脱稿予定の本二冊と雑誌記事の打ち合わせ、諸々の取材と会食に加えて、隣町珈琲で平川克美さんと「ラジオデイズ」の収録も行いました。

特別対談 ジャーナリズムと自立性(ラジオデイズ)

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ラジオデイズ」は、1本515円のネット音源です。平川さんとお話させていただくのは三度目でしたが、今回の対談の中で出た話題は、次のようなものでした。

・沖縄県知事選での公明党の動き方 ・安倍政権が内部から崩壊する可能性 ・トランプとともにレームダック化する可能性のある安倍政権 ・ソ連時代の政策を継承している今一番恐い政治家プーチン ・政治的な正論を言い続けていることのジレンマ ・社会の中での当事者意識が希薄化している日本人 ・今回の自民党総裁選で露呈したこと ・風化していく正論 ・当事者意識が極端に薄れたメディア ・抵抗のないジャーナリズム/ジャーナリズムの起源 ・報道の中立より大切な報道の自立性 ・破壊された見えない資産としての「文化資本」 などなど

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横浜では、16日の午前にYSGAさんの例会場に少し顔出ししたあと、古い友人二人と久しぶりに会い、GMTゲームズのシミュレーション・ゲーム「オランダ'44」(映画『遠すぎた橋』で有名な、1944年9月の「マーケット・ガーデン作戦」がテーマ)を3人でプレイしながら、積もる話に花を咲かせました。

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私はアメリカ軍を担当しましたが、幸運に恵まれ、ソン橋とベスト橋を無傷で確保したほか、ナイメーヘンを早期に完全制圧し、対岸にも橋頭堡を築くことに成功しました(ただしフェーヘルの橋を落とされました)。



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東京最終日の19日は、夕方から新幹線の時間(午後7時30分)まで、友人の記者と会食の約束をしていましたが、移動中の電車の窓から秋葉原の歩道橋に人がたかっているのを見つけ、急遽予定を変更して一緒に「安倍晋三候補の演説会」を見に行きました。

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自民党の総裁選で、現職の安倍氏側があれほどの恫喝と脅迫を行ったにもかかわらず、党員算定票の結果は安倍224票対石破181票という結果となりました。議員の石破票は73票。非議員の党員の45%、全投票者中の254人が、安倍氏の恫喝と脅迫を無視したことになります。歴史が教える通り、恫喝では人を支配できません。むしろ、長期的には自分の足元を揺るがすことになります。

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私も以前「オレに刃向かった奴は絶対許さない」という執念深い人に、運悪く関わってしまったことがあります。派閥のような徒党を組んで、執拗に悪口を流して潰そうとする。しかし実際には、そんな人間の影響力は見かけほど大きくはありません。悪意丸出しの中傷は逆に周囲を呆れさせ、それを流す側が信用をなくします。

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「あの人を敵に回したらこの業界で生きていけない」と周囲が言う相手とも衝突しましたが、全然そんな展開にはなりませんでした。威圧感を醸し出し、周囲にそう信じ込ませるのも一つの才能でしょうが、それを信じてしまう人が思っているほど世界は小さくありません。世界は大きくて広い。萎縮しなければ乗り越えられます。会社や団体などで、理不尽なパワハラに直面している人は、どうか挫けずに、心を強く持ってください。



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年内の残り三か月は、上記の本二冊と『歴史群像』誌次々号の記事執筆(次号の担当記事「ウラーソフとロシア解放軍(仮)」は既に編集部に送信済み)に没頭する予定ですが、取材を兼ねて韓国に行く予定もあり、朝鮮半島の南北首脳会談の行方にも注目しています。

1950年に始まった朝鮮戦争の終戦合意が成立し、地球上に残る、東西冷戦の最後の最前線とも言える38度線に平和が訪れるのか。戦史・紛争史研究家として、興味深く見守りたいと思います。


【おまけ】

東京滞在中に食べた美味しいもの。今回はシーフードを多くいただきました。

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2018年8月24日 [その他(戦史研究関係)]

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今日はまず告知です。久々に「戦史ノート」シリーズの電子書籍をひとつ刊行しました。第68巻『張鼓峰事件』です。

第68巻『張鼓峰事件』(AMAZON Kindle)

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先日NHKで放送されたノモンハンの番組で、関東軍の辻政信が起案した「満ソ国境紛争処理要綱」(「国境が不明確な箇所では、現地の防衛司令官が自主的に国境線を設定せよ」「敵軍駆逐という目的を達成するためならば、一時的にソ連領内に入っても構わない」等)が、重要な発生原因の一つとして指摘されていましたが、辻がこれを策定したのは、張鼓峰事件の翌年三月に現地を視察した後でした。ノモンハン事件(紛争)に関心がある人にも、その前段階の出来事を知るために、読んでいただければ幸いです。

以下、商品説明より一部抜粋。
「領土紛争や国境紛争について考える場合、軍人の思考では『個々の戦闘における勝ち負け』や『勇戦・奮戦する姿』が重視されることが多いですが、国家間の政治問題として総合的に判断するなら、それが『多くの人命を失う価値のある出来事だったのか』、そして『その人命の損失は果たして避けられないものだったのか』という評価基準も必要となります。
 領土紛争や国境紛争で『戦って勝つか負けるか』ではなく、『戦わずに国益を追求する方が結局は得策ではないか』という非軍事的な視点が、広義の安全保障問題を考える際には重要な意味を持つことを、張鼓峰事件は後世に教えていると言えます。現在の離島防衛を含む日本の安全保障問題にも、この出来事は多くの示唆を含んでいるように思います」




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さて、7月6日の『歴史群像』誌第150号発売から7週間が経ちましたが、かつてないほどの売れ行きを記録している模様です。ありがとうございます。

一方、付録ゲーム「モスクワ攻防戦」でゲーム終盤のソ連軍の押し返しが弱くて、なかなか勝敗判定ヘクスまでたどり着けないという意見もちらほら耳にします。そんな方はぜひこちらのブログ記事を参考にしてください。筆者は、今回ゲームのプレイテストを担当してくださった一人、古角博昭さんです。

歴史群像の『モスクワ攻防戦』を徹底解剖してみた

ただ、ウォーゲームのテクニックをすぐに会得するのも難しいとは思いますので、当座の対処として、ソ連軍攻勢支援マーカーの効果を「右に1列」でなく「右に2列(または3列)」に変更してプレイすることも試してみてください。

この変更案だと、ドイツ軍が予期しない箇所で戦線が大きく動く可能性が生じますが、マーカー数が限られていますし、冬将軍の到来による攻防の転換がよりドラマチックに感じられるのでは、と思います。ドイツ軍もゲーム序盤からより一層、自軍の損害管理に注意を払わなくてはならなくなります。

ちなみに、デザイナー(私)のお薦めは「右に3列」シフトです。実はゲームのプレイテストを開始した最初の段階(3月4日作成のルール)では「凍結ターン中に行われるソ連軍の攻撃は、すべて戦力比を右に3列ずらして解決する」「凍結ターンに行われるソ連軍の攻撃に、攻勢支援マーカーが適用された場合、攻撃側の戦闘力に2を加算する」というルールになっていました。

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また、一部ではある種の「裏ワザ的プレイ」として、第1ターンのドイツ軍は少数の装甲軍団だけが移動と攻撃を行い、残りのドイツ軍部隊は攻撃をしないどころか、ソ連軍に反撃されて損害を被ることを避けるために「西方向へ離れて逃げる」という手を使うという話もあるようです。実際には、そんな奇怪なやり方でプレイしても「ゲームが壊れる」だけで、ドイツ軍が勝ったとしても対戦ゲームとして楽しくないので、実際にしている人はほとんどいないようですが、そんな手を使う余地を残しておくのも問題だと思うので、以下のルール追記を行ってください。

ルール6.4項の「第1親衛狙撃兵軍団(1Gd、ヘクス1210に配置)」と「のユニットだけが移動できます」の間に「と、その時点でドイツ軍のZOCにいないソ連軍」を挿入してください。つまり、ルール6.4項は「第1ターンのソ連軍移動フェイズでは、第1親衛狙撃兵軍団(1Gd、ヘクス1210に配置)と、その時点でドイツ軍のZOCにいないソ連軍のユニットだけが移動できます。それ以外のユニットは、第1ターンのソ連軍移動フェイズには移動できません」となります。

そもそも、第1ターンに前線のソ連軍ユニットが移動できないというルールは、主にドイツ軍の支配地域(ZOC)の拘束力を史実のモスクワ戦に近い形で高めるために用意したもので、独ソ戦に詳しい方ならその意味を容易に理解していただけるかと思います。なので、ドイツ軍が「反撃を恐れて後ろに下がる」なら、そんな拘束力は消滅するので、第1ターンのソ連軍移動フェイズ開始時にドイツ軍のZOCにいないユニットは、自由に移動を行えるようになるわけです。

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今回、『歴史群像』第150号の付録として収録した二つのゲームは、戦史に深い関心を持つ同誌の読者の方々に、ボードゲームの対戦/プレイを楽しみつつ、題材となる戦史への興味をより深めてもらおうという意図で制作したもので、発売後の反響を見る限り、おおむね成功したと理解してもいいように思います。

そして、今までウォーゲームというカテゴリーを知らなかった人に、この趣味の面白さや醍醐味が伝わり、同好の士を増やすことに寄与できたのなら、プレイテスターを含む制作者一同として、これに勝る喜びはありません。ウォーゲームとは異なる一般ボードゲームの愛好家の皆さんからも、好意的な反響をいただけて嬉しく思います。このような機会は、望んでもなかなか得られない貴重なチャンスですが、皆さんが「モスクワ攻防戦」と「バルジの戦い」のプレイを長く楽しんで下さることを、制作者一同として願っています。

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【正誤表】

なお、「バルジの戦い」のルールブックで誤字が一つ見つかりました。21ページルール5.1「ターンの手順」で、「ドイツ軍第1戦闘フェイズ」とあるのは「ドイツ軍第1突撃フェイズ」の誤りです。お詫びして訂正します。

それから、「モスクワ攻防戦」について、ルールQ&Aを2つ追加しましたので、参考にしてください。これ以前の追加Q&Aは、学研の『歴史群像』公式サイト内の「制作こぼれ話」のページに出ています。

『歴史群像』「制作こぼれ話」第150号

Q7: 7.8項の「ソ連軍の場合、味方ユニットのいるへクスへも退却して入ることができません」とは、敵ZOCの場合だけなのか、それとも敵ZOC以外の場合も含めてなのか?
A7: これは、敵ZOC以外の場合も含めてです。ソ連軍は、敵ZOCに関わらず、味方ユニットのいるヘクスへは退却できません。

Q8: 7.8項にあるように、ドイツ軍が「追加で1ヘクスの退却」を行った先にも、他のドイツ軍ユニットが存在する場合、さらに「追加で1ヘクスの退却」を行うのか? 言い換えれば、他のドイツ軍ユニットがいないヘクスまで、退却を続けるのか?
A8: いいえ、1回の退却で行えるのは「追加で1ヘクスの退却」のみです。1ヘクスの追加退却を行っても、他の味方ユニットがおらず、なおかつ敵ZOCでないヘクスに入れなければ、そのユニットは全滅したものと見なされて除去されます。
 
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2018年7月12日 [その他(ウォーゲーム関係)]

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7月6日に、学研『歴史群像』8月号が発売されました。この号は、同誌の通巻150号記念号で、私は収録記事「ドイツ陸軍の中国派遣軍事顧問団」の執筆に加え、付録ゲーム二点のデザインとグラフィック全般、ルール編集(組版も含む)を担当しました。

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前者の記事は、1920〜30年代のドイツと中国の軍事協力関係(ゼークトやファルケンハウゼンらドイツ軍人の果たした役割や、ドイツが引き換えに得たもの等)と、それが日中戦争と第二次大戦に及ぼした影響がテーマです。

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付録ゲームは、本格的なウォーゲーム(シミュレーション・ゲーム)としてデザインしたもので、テーマは二人用の「モスクワ攻防戦」と一人用の「バルジの戦い」、コマは薄いながらも厚紙打ち抜き、マップはカラーの両面印刷です。ルールブックは全32頁のものが独立して封入されています。司令官の決断とジレンマを手軽に味わえるボードゲームで、前者はソ連軍の冬季反攻まで含んでいます。

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今からちょうど6年前の2012年8月号でも、創刊20周年記念号ということで、私のデザインした「ミッドウェー海戦(2人用)」と「日本海海戦(1人用)」の二つのボードゲームが付録として付きました(この二つのゲームについては、こちらのカテゴリーで内容をご覧になれます)。『歴史群像』誌の発行部数は、36,500部 (日本雑誌協会 印刷証明付部数/2017年8月)ということですが、これほどの大部数で特定のウォーゲーム(シミュレーション・ゲーム)が出版・流通したことは、かつてなかったのではないかと思います。

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同誌に私が初めて寄稿したのは、1999年に出た第38号で、それ以来今号まで、一回だけお休みした以外の計112号(全150号の約4分の3、約20年)に、毎号(時には二本)記事を掲載していただきました。「戦史/紛争史研究家」としての私のキャリアは、20年近くにわたる『歴史群像』への寄稿と共に築かれたもので、歴代の編集長と編集者の方々に深く感謝いたします。

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また、この付録ゲームに関連する形で『歴史群像』誌公式サイトに「制作こぼれ話」を寄稿しました。戦史再現のボードゲーム(シミュレーション・ゲーム/ボード・ウォーゲーム)の歴史とその醍醐味、付録ゲームの追加Q&Aなどを簡潔に説明しています。

第150号 制作こぼれ話(歴史群像)



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さて、先月の話になりますが、6月19日から27日まで、米国のニューヨークとアリゾナに旅行しました。NYでは国連本部ビルや9.11関連の追悼施設と博物館、美術館等を見学し、アリゾナでは昨年に続き、今回『歴史群像』誌の付録についたような戦史ボードゲームのコンベンションに参加して、米国メーカー関係者と諸々の打ち合わせ等を行いました。

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米国行きは、初めてテキサス州のダラスに行った1993年以来、12回目でしたが、今回初めてヤンキー・スタジアムでメジャーリーグの試合(ニューヨーク・ヤンキース対シアトル・マリナーズ戦)を生で観戦しました。野球の試合だけでなく、重要な米国文化の一つである大リーグの野球場の雰囲気を実際に感じてみたいと、前々から思っていました。

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ヤンキースの田中投手は怪我からの回復途上、イチロー選手は不可解な現役「半引退」状態ですが、試合前の練習で「動くイチロー選手」を、試合開始時の国歌斉唱と試合後のハイタッチで「動く田中選手」を見られました。試合は、地元ファンからの声援が特に大きいアーロン・ジャッジ選手が初回に2ランHRを打ち、ヤンキースが逃げ切りで勝利しました。

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エンパイア・ステート・ビルの上から見たマンハッタン南部。前回ニューヨークに来た2000年には、今あるのとは違う双子の超高層ビルが、島の南西部(右奥)に立っていました。現在、マンハッタンで一番高い建物は、以前それらがあった隣接地に立つ「ワン・ワールド・トレード・センター」という超高層ビル。

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マンハッタン南部にある、旧ワールド・トレード・センター跡地。2001年9月11日の同時多発テロ事件で崩落したツインタワーの建物があった場所(二か所)には、敷地を四角く掘り下げた追悼施設が作られ、絶え間なく水が流れています。周辺一帯は商業施設として再開発され、多くの観光客でにぎわっていました。

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旧ワールド・トレード・センター跡地の昼間部にある、9/11記念博物館。あの時、ここで起きた出来事を時系列に沿って知ることができる施設で、理不尽な市民の大量殺害(虐殺)という側面もあるためか、ホロコースト関係の博物館と近い雰囲気を感じました。ビンラディンらの動機について説明した展示もありますが、説明内容は善悪二元論的な「断罪調」ではなく、米政府がかつて(ソ連軍のアフガニスタン侵攻に対抗する関係で)彼らに資金援助などの協力をしていた事実にも触れていました。

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マンハッタンにある国連本部ビル。事前に予約して英語のガイドツアーに参加しました。過去に紛争史の原稿を書く時、何度も「国連安保理決議」に触れたこともあり、安全保障理事会の議場は感慨深く見ました。他の議場では、まさに会議をしている様子を少し見せてもらえました。

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ニューヨークのメトロポリタン美術館。ラ・トゥール、フェルメール、カナレット、エル・グレコなど私の好きな画家の名作が揃っていて大満足でした。

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ニューヨークのブルックリン地区にある同市の交通博物館。使われなくなった地下鉄の駅を利用した「地下鉄博物館」で、普通に地下鉄駅へ降りるように階段で館内に入り、ホームに降り立つと、ホームの両側の線路に端から端まで、ニューヨークで過去に使われた歴代の地下鉄車両が連結して展示されています。20世紀初頭のレトロな車両から、1950〜60年代独特の近未来的デザインの車両まで、いろんな時代の車両が開放状態で並んでいて、自由に乗って座席に座ったりできます。車内の広告も運用当時のものが使われているので、昔のニューヨークの雰囲気に浸れます。鉄道ファンでない人でも、たっぷり楽しめる博物館だと思います。

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ニューヨークのマンハッタン、パーク・アベニューに建つビルふたつ(一枚目は 44 East 23rd Street、二枚目は 257 Park Avenue South)。かつてここに、SPI(Simulations Publications, Inc.)社のオフィスが置かれていました。『歴史群像』誌の「制作こぼれ話」でも触れたように、SPI社は1970〜80年代に大量のゲームを出版した代表的メーカーです。40年ほど前、ここでジム・ダニガンやリチャード・バーグ、ジョー・バルコスキらが仕事をしていたのかと想像しながら、静かに興奮しました。

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日本からニューヨークまで16時間のエコノミー席が原因か、先日の旅行中に少しずつ、人生で初めての腰痛に直面しました。ニューヨークからアリゾナへ5時間半飛行機に乗ったあとが一番ひどく、空港ではヨタヨタ歩きしかできませんでした。迎えに来てくれた友人のジョン・クランツ氏と奥さんが、薬局でサロンパスを買ってくれましたが、症状は変わらず。

このままでは帰国便に乗れないと思い、現地アリゾナで人生初のカイロプラクティックへ二日通いました。いろいろ施術してもらった上、腰を支えるサポーターを買い、姿勢についてのアドバイスも受けました。そのおかげで、帰りはロサンゼルスから関空まで12時間でしたが、危惧していたほど辛くはなく、関空到着後もわりと普通に歩けました。

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アリゾナのテンピでは、昨年に続いてウォーゲームのコンベンション「コンシムワールド・エキスポ2018」に参加し、友人知人との歓談やゲームのプレイ、私が過去にデザインしたゲームといま作りかけている新作を、米国のメーカーから出版する条件交渉などを行いました。上の写真は、同イベントの主催者であるジョン・クランツ氏(中央)、GMT社の創設者でデザイナーのジーン・ビリングスレイ氏(右)と共に。

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GMT社の「COINシリーズ」で定評のあるデザイナー、ブライアン・トレイン氏と。彼がデザイン中の新作COINゲーム「サンダー・アウト・オブ・チャイナ」(1937年の盧溝橋事件以後の日中戦争を、中国国民党、中国共産党、どちらにも付かない中国の軍閥勢力、そして日本軍の四陣営で再現する)も少し見せてもらえました。これは個人的に期待大。

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新興メーカーの中でも特に活発にゲーム出版を行っているコンパス・ゲームズの面々と共に(左から3人目が社長のビル・トーマス氏)。私が制作中の新作「マザーランド2」について、同社から箱入りで出版することで合意し、帰国後に契約書にサインしました。

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今年の同イベントの主賓は、かつてGDW社で数々の名作をデザインしたフランク・チャドウィック氏でした。

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会場では、新作ゲームのプレイテストもいろいろ行われていました。これは、GMT社から出版予定の「スターリングラード'42」で、デザイナーはマーク・シモニッチ氏。

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これもGMT社から出版予定の「ア・タイム・フォー・トランペッツ」。大隊レベルでバルジの戦いを再現します。

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NES(ニュー・イングランド・シミュレーションズ)社から出版予定の「ジョーズ・オブ・ビクトリー」。1944年1月〜2月のコルスン包囲戦を、同社の「キリング・グラウンド」と同じ戦力チット式システムで再現しています。

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これもNES社から出版予定の「ウインターズ・ビクトリー」。ナポレオン戦争のアイラウの戦いがテーマ。

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デシジョン・ゲームズ社でテスト中の作戦戦術級の西部戦線シリーズ新作「ラッキー・フォワード」。1944年秋のフランス東部ロレーヌ地方でのパットン第3軍(アメリカ軍)の進撃を詳細に描くビッグゲーム。

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MMP社のOCSシリーズの新作テスト各種。「ビヨンド・ザ・ライン」(西部戦線、1944〜45年)、「ハンガリアン・ラプソディー」(ハンガリーでの戦い、1944〜45年)、「フォーゴットン・バトルズ」(東部戦線、1943年)。

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メーカーは不明ですが、GDWの「サード・ワールド・ウォー」のシステムで極東の戦いを再現する仮想戦。

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会場では米国GMT製の「関ヶ原」ゲームを、テキサスから来たという米国人ゲーマーにルールを教えてもらいながらプレイしました。戦略レベルの大局観が問われる内容で、大胆な抽象化と簡略化がなされたゲームですが、カードを併用して解決する合戦では、結集した兵のすべてが戦いに参加できるとは限らず、史実のような番狂わせの展開もしばしば起こります。例えば、毛利軍の兵が大量に集結したのに、毛利のカードが手許にないので、合戦に参加できず敗退、といった展開も、自然に起こります。

今年の後半は、単行本一冊と新書一冊、そして『歴史群像』誌の担当原稿の執筆がメインですが、前記した「マザーランド2」など、ゲーム関係の作業もそれに挟む形で進めます。



【おまけ】

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アメリカで食べた美味しいものを、いくつかご紹介。これはニューヨークで食べたロブスターロール。東海岸のメーン州で獲れたロブスターの身をパンにたっぷり盛って少し味付けしたものですが、プリプリした歯ごたえが絶品で、海老好きには大満足の品でした。

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これは、ブロンクスのヤンキースタジアムで食べたホットドッグとポテトのセット。ソーセージはドイツ風で、ポテトも黒コショウが効いていて、生ビールとよく合いました。

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シェイクシャックのハンバーガー。こういうシンプルで乾いたハンバーガーが好きなんですが、名張では「安いM」と「こだわりのM」しか選択肢がなく、なかなか味わえないのが残念(梅田阪神に最近出店した模様)。
 

 
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2018年6月15日 [その他(ウォーゲーム関係)]

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新刊『[増補版]戦前回帰』(朝日文庫)が、6月7日に発売になりました。三年前の2015年(一連の日本会議本が出る一年前)に学研から出た旧版の誤記を修正し、この三年間に起きた出来事を同じ文脈で説明する一章を加筆したものです。戦前・戦中と現在の日本の「見た目の類似点」だけでなく、ある行動の動機や価値観などの根源的な思考の土台にも光を当てています。

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この本の主題は、戦前、戦中、戦後を経て今の日本に繋がる、一本の「価値観の系譜」を読み解くことで、第2章では戦前戦中の日本人の思考を支配し、無自覚に破滅へと向かわせた「国体」思想についても詳しく解説しています。

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第1章から第4章は、三年前に書いた原稿ですが、一部誤表記の訂正や文章の手直し以外、特に内容の書き直しは必要ありませんでした。そのままの大きな流れで、この三年間の出来事、具体的には伊勢志摩サミット(伊勢神宮/神社本庁)と教育勅語復活、天皇の生前退位、神社の憲法変更運動などを扱った第5章に続きます。旧版を既にお持ちの方にもぜひ読んでいただきたい一冊で、拙著『日本会議』『「天皇機関説」事件』(共に集英社新書)と合わせて読めば、より理解が深まります。

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友人の青木真兵さんが主宰されている「オムライスラヂオ」は、無料で聴けるネットラジオですが、6月6日に公開された回(私との対談)は、『[増補版]戦前回帰』(朝日文庫)の趣旨説明のような内容構成になりました。今の日本社会にある諸々の問題や不可解な動きを、違った角度から見る参考になれば幸いです。以下のタイトルをクリックすれば、番組(約60分)を聴くことができます。

オムライスラヂオ


また、先週発売の週刊誌『AERA』(6月11日号)は「ウソつきとは戦え」という特集を巻頭に掲載していましたが、記事の中で私のコメントも一部掲載されています。

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日本人は元々、権威に弱い国民性だと思いますが、2011年の3.11以降、不安や孤立感、焦りなどの弱った心理から、権威主義が以前にも増して強化されていると感じます。私の発言部分は、以下のネット記事で読めます。

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「日大アメフト問題」の背景に日本に根深い「権威主義」



さて、来月発売の『歴史群像』7月号は、前回の記事でも触れた通り、通巻150号記念として、私のデザインしたボードゲーム(シミュレーション・ゲーム)二個が付録として付く予定です。2012年の創刊20周年記念号(8月号)に続き、厚紙のコマと両面カラーマップでプレイできる仕様です。コマの厚紙の厚さ(薄さ)は、前回と同様ですが、あまり厚くすると輸送費等にも影響する(一箱に入る冊数が減る)ので、これはやむを得ないところです。

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二人用の「モスクワ攻防戦」は、ドイツ軍が軍団、ソ連軍が軍(1個のみ軍団)規模の作戦級ゲームです(1ターンは10日で全9ターン)。初期配置されるソ連軍のほとんどが戦力未確認(アントライド)ユニットで、初めて戦闘に参加するまで、両プレイヤーとも戦闘力を知ることができません。これだけなら、東部戦線の作戦級ゲームでは定番ですが、今回はドイツ軍の損害管理に工夫を凝らしました。

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ドイツ軍の損害は、「第3装甲軍+第9軍」「第4装甲軍+第4軍」「第2装甲軍+第2軍」の3つのグループごとに管理されます。ドイツ軍ユニットが戦闘結果で被った損害の数値は、地図上に印刷された、所属グループの「損害管理トラック」の上限(8)に達するまで、退却ではなく、同トラック上で蓄積します。そして、それが上限に達した瞬間から、所属ユニットの損害は、退却で適用されます。これで、どのような展開になるかと言えば、攻勢をとる序盤と中盤の計6ターンでドイツ軍が被った損害が少ないほど、終盤の3ターンで戦線を持ちこたえられる(死守できる)可能性が高まり、被った損害が多いほど、戦線を持ちこたえられずに退却する可能性が高まります。

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こうしたシステムなので、ドイツ軍プレイヤーは自軍の損害を避けるため、なるべく戦闘ではなく、ソ連軍ユニットを包囲して補給線を断つことで全滅させるよう努めます。けれども、長いようで短い最初の6ターンでぐずぐずしていると、モスクワに到達できずに時間切れになるという側面もあるので、強攻策も時には必要となります。この辺りのジレンマが、ゲームのポイントとなります。

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対するソ連軍は、最初の6ターンは防戦一方ですが、終盤の3ターンで冬季反攻を行って、戦線を西へと押し戻します。凍結による修正に加えて、戦車や重砲、ロケット砲(カチューシャ)、スキー部隊などを表す「攻勢支援マーカー」を重点に配置することで、有利な修正を得られます。

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勝敗は、ドイツ軍のモスクワ占領とソ連軍の降伏判定(5/6の確率で降伏)によるサドンデスを別にすれば、地図上に7箇所ある勝敗判定ヘクスを多く(4個以上)支配している側が勝者となります。終盤にドイツ軍の戦線が退潮するのは確実なので、どこまで戦線を東に押し上げておけるか、シベリア兵を含め最も大きな戦闘力を持つ第1打撃軍をどこに投入するか、そして損害蓄積の余力を残しておけるかが勝敗を左右します。

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ゲームの手順も、最初の6ターン(荒天)と最後の3ターン(凍結)では、内容を変えています。フェイズ攻勢を見れば、どちらがイニシアチブを握っている状態なのか、ベテランゲーマーには一目瞭然でしょう。

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一人用の「バルジの戦い」も、同様に「第6装甲軍」「第5装甲軍」「第7軍」の3つのグループごとにユニットの損害を管理しつつ、プレイヤーの担当するドイツ軍がアルデンヌの森を北西に向けて突破する展開となります。

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一般的なバルジのゲームとは異なり、マップの北西端にブリュッセルとワーテルローが含まれているので、大体どのあたりが戦場になっているのかを、より感覚的に理解できるでしょう。イギリス軍のホロックス中将がモントゴメリー元帥に提案した「ドイツ軍をワーテルローまで進ませて、そこで撃滅する」という展開も、もしかしたら起こるかもしれません。

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ノンプレイヤーのアメリカ軍は、すべて師団規模のユニット(一部はユニット化されず「固定戦闘力」としてマップに記載)ですが、バストーニュを守る第101空挺師団以外はやはり戦力未確認(アントライド)ユニットです。A、B、Cの三種のカテゴリーで分類され、後方エリアに配置される後者の方がより強い戦闘力を有しています。

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マップはエリア式で、黒い境界線は河を表しており、円形の「橋エリア」を通らないと、河の対岸には進出できません。ただし、「橋エリア」の固定戦闘力を撃破しても、橋梁爆破の判定で「爆破成功」なら、そのエリアにはゲーム終了まで進入できなくなります。ゲームの序盤では、史実同様、トロワ・ポンの「橋エリア」を確保できるか否かが重要なカギとなります。

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一方、南部のバストーニュは、第101空挺師団の「兵員ポイント」がマップ上のトラックで管理され、二本ある増援ルートをドイツ軍が遮断しなければ、兵員ポイントが毎ターン増加します。バストーニュ占領のポイントは高いので、ドイツ軍は同地を包囲したのち、波状攻撃で兵員ポイントをすり減らして、第101空挺師団を全滅(降伏)させることを目指します。

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また、全5ターンのうち、第3ターン以降は一部のドイツ軍装甲軍団が「燃料不足」に直面する可能性があり、燃料不足と判定された装甲軍団は、該当ターンの行動力が歩兵と同様になってしまいます。このゲームの勝敗も、第5ターン終了時にドイツ軍が支配しているエリアの数と種類で判定されます。このほか、史実同様にゲームでも活躍できない場合が多いですが、スコルツェニーの第150装甲旅団とハイテの空挺連隊も、彩りを添える薬味的な形でゲームに含めました。

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ゲームのプレイテストは、いつもの石田博さんに加え、横浜の堀場さんと山内さん、大阪の古角さんたちにも手伝っていただき、この種のゲームをプレイしたことがないという『歴史群像』の星川編集長や編集スタッフにも遊んでもらい、フィードバックをルールブック等に反映しました。

メジャーな雑誌で、こうした本格的なシミュレーション・ゲームが付録に付くことはめったにないので、熱意を注いで制作しました。付録付きで税込み1185円というのはかなりお買い得だと思います。発売日は、2018年7月6日(金)です。ぜひご期待ください。
 
 
 
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2018年5月13日 [その他(戦史研究関係)]

先月(4月)後半は、ヨーロッパへの旅行(後述)などもあって、結局更新できずじまいでした。改めて、近況の報告です。

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まず、前回の記事で告知した新刊『1937年の日本人』(朝日新聞出版)が、4月20日に発売となりました。80年前の日本社会がどう変わって行ったのか、当時の日本人の目線に寄り添いながら、日々少しずつ進む空気の変化を丁寧に振り返る内容です。

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最終章では、帝国議会(国会)での国家総動員法の審議中に起きた、佐藤賢了中佐の「黙れ」暴言事件も、前後の経緯を含め「起こるべくして起きた事件」として紹介しています。最近起きた自衛隊三佐の行動とも通底する面があると思います。

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次に、『歴史群像』(学研)6月号が、5月7日に発売となりました。

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今回の私の担当記事は「中近東諸国と第二次大戦」で、同戦争期にイラク、シリア、イラン、パレスチナ等で起きた政治と軍事の戦いについて、俯瞰的に解説しています。英仏対ドイツ、英仏対ソ連、英対イラク、英対仏、英ソ対イラン等、敵味方が頻繁に入れ替わりました。現在の中東情勢に、影を落としている部分もあります。

そして7月6日発売予定の『歴史群像』次号(通巻150号記念号)では、2012年の創刊20周年記念号(8月号)に続き、厚紙のコマとカラーマップでプレイするボードゲームが付録で付く予定です。

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今回もゲームデザインとアートワーク、ルール編集を私が担当しました。2人用の「モスクワ攻防戦」と1人用の「バルジの戦い」です。前回は「日本海軍特集」で「ミッドウェー海戦」と「日本海海戦」のコンボでしたが、今回は「ドイツ陸軍特集」ということで、この組み合わせになりました。

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ゲームマップは、こんな感じです。詳しいゲームの内容については、次の機会に改めて紹介します。



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さて、4月9日から4月20日まで、取材を兼ねた旅行でドイツとチェコ、オーストリアに行ってきました。今回はまずベルリンで四泊し、三日目からはレンタカーを借りて、ザクセンハウゼン、ヴァンゼー、ポツダム、ヴュンスドルフ、ドレスデン、テレジーン(チェコ)、プルゼニ(同)、ニュルンベルク、ブラウナウ(オーストリア)、バートアウスゼー(同)、アルタウッセ(同)、ハルシュタット(同)、ザルツブルク(同)、ベルヒテスガーデン、ミュンヘン、ダッハウ、ノイシュヴァンシュタイン城、ランツベルクなどの歴史的な場所を見て回りました。

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ドイツ現代史に関心のある人なら、上の地名の羅列を見て、旅行のメインテーマを大体推測できるかと思いますが、ドイツ国民の過去との向き合い方と日本国民のそれとを比較すると、ドイツが理想だとは言わないにせよ、やはり大きな違いがあると実感しました。

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ベルリンの絵画館のそばにある「ドイツ抵抗記念センター」という博物館のある建物。ここに面した道「シュタウフェンベルク通り」は、第二次大戦期には「ベンドラー通り」という名で、ドイツ国防軍や陸軍国内軍などの中枢機関が置かれ、第二次大戦末期には、軍部の反ヒトラー運動の拠点として機能しました。

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ドイツ現代史で重要な舞台となった国会(連邦議会)議事堂(ライヒスターク)。ヒトラーとナチスが独裁体制を固める際に利用されたのが1933年の「共産主義者による国会議事堂放火事件」で、ヒトラーとナチス体制が終焉を迎えた1945年には、ベルリンを征服したソ連軍兵士がこの国会議事堂の屋根にソ連の赤い国旗を掲げました。

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「ヨーロッパで虐殺されたユダヤ人のための記念碑」。単に四角い石が並ぶだけに見えますが、中央で地面が下がっており、画一的な石の間を歩くと、アウシュヴィッツで画一的なバラックの間を歩いた時と同じ感覚に襲われて衝撃を受けました。上を見上げても空を石が挟み込む圧迫感。これは凄い記念碑だと思いました。

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「ヨーロッパで虐殺されたユダヤ人のための記念碑」は、かつてヒトラーの総統官房があった区画から、小さい交差点を挟んだ対角線上にあります。ヒトラーが1945年に自殺し、死体がガソリンで焼却された総統官房があった一帯は、今では普通の駐車場や集合住宅になっています。

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ベルリンの西部にある、オリンピック競技場。1936年のベルリン五輪のために建設されたメイン競技場で、屋根やフィールドは改修され、今も大きなスポーツイベントで使われていますが、柱などは当時のまま。施設内にある、各競技の金メダリストを記した壁には、女子水泳の前畑選手など日本人の名前もいくつか並んでいます。

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ベルリン中心部にある「トポグラフィー・オブ・テラー」という施設。ナチス時代にゲシュタポやSSなどの本部が置かれていた区画をいったん更地にして、これらの組織による非人道的行為を批判的に展示しています。こうした施設を見れば見るほど、日本との「歴史との向き合い方の違い」を痛感させられます。

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ベルリン近郊にあるヴァンゼー会議の開かれた邸宅。ナチスのユダヤ人迫害は一足飛びにホロコーストに進んだわけでなく、いくつかの段階を経ていましたが、1942年のヴァンゼー会議は優先政策としての「絶滅」へと転換する重要な出来事でした。ここで重要な役割を演じたのが、ラインハルト・ハイドリヒとアドルフ・アイヒマン。

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ポツダム会談が開かれた、ポツダムのツェツィリエンホーフ宮殿。スターリンとトルーマン、チャーチル(途中でアトリーと交代)の三巨頭が会談を行った会議場は、今も当時のままの円卓と椅子が保存されています。とても落ち着いた環境の場所でした。

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ベルリン南部のツォッセン近郊、ヴュンスドルフにある、ドイツ陸軍の司令部施設「マイバッハ」の残骸。司令部や通信所を地下トンネルで繋いだ施設群で、今もロケットのような形状の防空シェルターや、崩落した施設のガレキが残っています。

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ドイツ南東部の古都ドレスデン。古い建物が並んでいるように見えますが、実はこの都市は第二次大戦終了間際の1945年にイギリス空軍が実施した無差別爆撃によって破壊され、教会を含む美しい建造物は無残なガレキの山と化しました。戦後に再建され、現在は歴史を感じさせる街として多くの観光客が訪れています。

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ドレスデンからチェコ領に入り、同国がドイツの保護領となっていた第二次大戦期に「テレージエンシュタット」と呼ばれたテレジーンを見学。ここは、ユダヤ人ゲットーとゲシュタポの刑務所、移送中のユダヤ人を一時収容する強制収容所などがあり、各施設はほとんど手を加えず当時のまま保存されています。

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バイエルン北部の都市ニュルンベルクは、戦前にはナチスの党大会が行われた場所で、今も当時の遺構が残っています。これは大規模会場の一つ、ツェッペリン広場の観閲台で、当時は両脇にも柱が林立する勇壮な建造物でした。戦前戦中は観閲台上部にカギ十字が付いていましたが、占領した米軍が爆破しました。

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ツェッペリン広場から、西に1.3kmほどの場所にある公園。当時は「ルイトポルトアリーナ」という式典場で、見る者を圧倒するようなナチス党大会での兵士の整列はここで行われました。当時の建造物はほとんど取り壊され、唯一残るのは「戦没者記念堂(エーレンハレ)」という小さい廟ですが、きちんと手入れされておらず、周囲にゴミが散乱しているのに驚きました。

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ドイツのニュルンベルクから、車で南東に2時間40分ほど走り、オーストリアとの国境を越えてすぐのブラウナウ(・アム・イン)という街にある、ヒトラーの生家。一時、取り壊しが決定されましたが、社会福祉関係の用途で存続することに。周囲の街並みは綺麗ですが、この建物だけは一階部分が薄汚れた感じになっています。

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オーストリアのブラウナウの南東、つまりザルツブルクの東部一帯に広がる山と湖の連なる地域は「ザルツカンマーグート」と呼ばれていますが、その一帯にある、アルタウッセの岩塩坑。『歴史群像』誌第145号の記事でも触れたように、ここはヒトラーが自分の美術館用にコレクションしていた美術品を第二次大戦末期に秘匿していた場所で、現在ウィーンの美術史美術館にあるフェルメールの「絵画芸術」もその一つでした。事前にネットで予約しておけば、内部を見学できます。小さいトロッコが一台走る狭いトンネルを、延々と歩いて山の奥へ入っていきます。

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ベルヒテスガーデンは、オーストリアのザルツブルクから南西に車で一時間足らずの場所にあるドイツ南東部の高原の街ですが、その東方、オーバーザルツベルクと呼ばれる一帯の山に、かつてヒトラーが愛用した山荘(ベルクホーフ)の遺構があります。戦後、この場所がナチス支持者の聖地となることを避けるため、山荘の建物は解体されましたが、土台のコンクリートは今も残っています。雑木林の中にあり、やや見つけにくい場所。すぐ近くには「オーバーザルツベルク現代史研究所」という、ヒトラーとナチス(国家社会主義)時代を批判的に検証する小さな博物館もあります。

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ミュンヘン新市庁舎の少し北にある、将軍廟(フェルトヘルンハレ)。バイエルンの名将を祀る廟として19世紀に作られましたが、ナチス時代には死亡したナチ活動家の慰霊碑が追加され、横を通る市民にも敬礼が強制されました。ある種、靖国神社的な場所だったと言えますが、敗戦と共にナチスの価値観に基づく慰霊碑等は全部撤去されました。

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おそらく日本で一番有名な南ドイツの観光名所・ノイシュヴァンシュタイン城。バイエルンの若き国王が道楽で建てたかのようなイメージがありますが、当時のバイエルン王国が置かれた境遇を知れば、もう少し複雑な構図も見えてきます。第二次大戦末期には、ここにもナチスの所有する大量の美術品が秘匿されました。

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ミュンヘン西方約50キロのランツベルクにある、ランツベルク刑務所。1923年のミュンヘン一揆が失敗した後、ヒトラーはここに収監され、『わが闘争』の口述筆記もここで行われました。現在も刑務所として使用されています。

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今回のドイツ・チェコ・オーストリア旅行では、三日目からレンタカーを借りて移動しました。今回の相棒はホンダのシビック。私の年代ではコンパクトな大衆車のイメージがある車名ですが、今どきのシビックはこんなにスポーティーで速くて、ベルリンからミュンヘン空港までの2000キロを快適に走破してくれました。アウトバーンでは、空いていると150〜170kmで巡航でき、この旅での最高速度は190kmでした。

ということで、非常に密度の濃い、10泊12日の充実した旅行でした。旅先で学んだこと、考えたことは、今後のいろいろな仕事に活かしていけたらと思います。

来月は、朝日文庫から『[増補版]戦前回帰』が発売される予定です。これは、三年前に学研から刊行した『戦前回帰』の四章に加え、この三年間で起きた出来事の中から「伊勢志摩サミットと政教分離」「天皇の生前退位」「教育勅語の教育現場への復活容認」などを取り上げた第五章を加筆しました。こちらも、発売日が決まり次第、改めて内容などを告知します。


【おまけ】
現代史関係の重い場所ばかりを連日見て回った旅でしたが、それだけでは精神が持たないということもあり、合間に二つの楽しみを挟みました。

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一つは、フェルメールをはじめとする美術品の鑑賞で、ベルリンとドレスデンの絵画館で名画の数々を堪能しました。

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特にドレスデンには、第二次大戦後の一時期ソ連に持って行かれたフェルメールとラファエロがありますが、ヴェネチアの画家カナレットの甥であるベルナルド・ベロットのコレクションが充実していたのも予想外の収穫でした。

もう一つは、ビールと地元料理で、今回のルートにはチェコ西部のプルゼニ(ピルゼン)とドイツ南部のミュンヘンという、ビール好きの二大聖地を含めたこともあり、本場のビールをたっぷり味わいました。

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ピルゼンは、ピルスナーの発祥地で、代表的なブランドは「ピルスナー・ウルケル」。ハーブ入りバターを載せたポークステーキも絶品でした。

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ドイツ南部、かつてのバイエルン王国の首都ミュンヘンは、白ビールの本場で、旅行中は時間とお金を節約するためレストラン以外で食事を済ませることが多かったですが、ここでは話が別。滞在二日目の晩に、電車でミュンヘン中心部にある白ビールの有名ブランド・フランツィスカーナー直営店で、シュヴァイネハクセ(豚のスネ肉のロースト)と一緒にいただきました。

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こちらは滞在最終日の夕食。ベルリンからミュンヘンまで、あちこち巡った旅の最後がランツベルク刑務所というのは哀しいので、いったんホテルに車を置き、再度ミュンヘン中心部へ。同じく白ビールの有名ブランド・パウラーナー直営店で白ビールと白アスパラ(ドイツの春の風物詩)のスープ、シュヴァイネブラーテン(豚ロースト)を堪能しました。
 
 
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2018年4月8日 [その他(戦史研究関係)]

今年二回目の更新です。1月に続き、3月も他の仕事で忙しく、結局一度も更新できませんでした。

まずは告知から。今月20日に、新しい単行本『1937年の日本人』が、朝日新聞出版から発売されます。

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7月の盧溝橋事件を境に、日本は平和から戦争の時代に突入した… と教科書等では語られますが、実際にはその境界はグラデーションのように曖昧でした。当時の日本政府は、自国民に対しても諸外国に対しても「これは事変(戦争には到らない武力衝突や交戦)であって戦争ではない」と説明し、目的を達したらすぐに終わるかようなポーズをとっていたからです。

そんな、日本社会の空気に広がる薄いグレーが、日々少しずつ濃くなっていく経過を、当時の新聞記事や雑誌記事に書かれた文面に語らせる形で、当時の日本人の視点を意識しつつ、俯瞰する内容の本です。戦争や軍事だけでなく、市民の暮らし、特に主婦や子どもの生活がどんな風に変わっていったのか、その変化を丁寧に追いました。

また、当時の帝国議会(今の国会)での政府と各党議員のやりとりにも光を当て、前半の平和な時代から後半の戦争の時代へと移行する様子を、政界の空気の変化という観点からも描き出します。本の主題は1937年ですが、序章は1936年12月の帝国議事堂での第70議会開院式、終章は1938年春の国家総動員法成立です。

本のコンセプトは「時空を超えたホームステイ」で、大阪第四師団に勤務する陸軍将校のお父さんのご家庭に滞在して、その家にある新聞や各種の雑誌を読みながら、1937年の日本社会に漂う時代の空気を読者が知り、変化を感じられるような本を目指しました。

時期的には、昨年出た『「天皇機関説」事件』(集英社新書)の後に続く形となります。今の日本で暮らす生活者として、サラリーマンや主婦、大学生が気軽に手に取れる本に仕上がったのでは、と思います。平和から戦争へ、誰もその本当の意味に気づかないような形で、社会が日々、少しずつ変わっていく。ほんの80年前に、この国で実際に起きたことです。ぜひ、ご期待ください。


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それと、3月初めに『歴史群像』誌の最新号が発売されました。今回の私の担当記事は「ギリシャと第二次大戦」です。

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第二次大戦期のギリシャで、どんな戦いが行われたのかは、日本ではあまり知られていないと思います。この原稿では、ギリシャ軍、イギリス軍、オーストラリア軍の公刊戦史なども参照しながら、戦前期のギリシャが置かれた状況、イタリア軍のアルバニアからギリシャへの侵攻、翌年のドイツ軍によるギリシャ侵攻、枢軸占領統治下のギリシャで起きた抵抗と内戦などを軍事と政治の両面から俯瞰的に解説しています。

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バルカン半島最南部のギリシャは、成り行きでイギリス側に立ち、まずイタリア軍、次いでドイツ軍と戦って敗れ、国土を占領されましたが、1945年に「戦勝国」となっても真の平和は訪れませんでした。それはなぜなのか? 知られざる第二次大戦の一側面です。


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また、3月後半に刊行されたファッションとスタイルの雑誌『GQ』(コンデナスト・ジャパン)2018年5月号にも、私の寄稿した1ページのコラム記事が掲載されています。

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内容は、公文書改ざんに象徴される今の日本での「政治の腐敗」と、それを許す周囲の環境について。田中芳樹の『銀河英雄伝説』で描かれた、ヤン・ウェンリーの有名な科白も引用しています。


今月は、後半にまた更新するよう努力します。

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2018年2月8日 [その他(戦史研究関係)]

2018年も、気がつくと2月に突入しており、1月はうっかりして一度も更新せずじまいでした。ということで、今年最初の記事です。

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まず、1月初めに『歴史群像』誌の最新号が発売されました。今回の私の担当記事は「アヘン戦争」で、十九世紀の清国(今の中国)で起きた、特異な構図の二度にわたる戦争を俯瞰的に解説しています。アヘン戦争の名前は年表などで知っていても、全体としてどんな戦争だったかを説明できない人も多いのでは? 

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清国が没落する大きな転機となった出来事ですが、当時の流れを知れば、香港とマカオがなぜあのような特別な位置づけになったのか、という疑問も解けるかと思います。第二次アヘン戦争とも呼ばれるアロー戦争を含む内容です。ぜひご覧下さい。


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同じく1月初めに刊行された、宮崎駿さんのアニメ作品で有名なスタジオジブリの発行する月刊誌『熱風』の最新号に、ジャーナリストの青木理さんとの対談記事が掲載されています。青木さんが同誌で続けられている「日本人と戦後70年」という連載で、13ページという長めの記事ということもあり、戦前・戦中・現在の諸々の問題について当日話した内容が、ほぼ完全に採録されています。

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スタジオジブリの月刊誌『熱風』は、一部の書店では買えるようですが、それ以外の書店は取り扱いがないようです。関心のある方は、ぜひ以下のサイトで、取り扱い店を確認してください。

「ジブリ関連書常設店について」

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それから、前回の記事で紹介した、昨年12月に東京の神楽坂でジャーナリストの布施祐仁さんと行ったトークイベント「アメリカと北朝鮮の戦争、『負ける』のは誰か?」の内容が、集英社の『週刊プレイボーイ』のネット版で、前後編に分けて公開されています。こちらも、当日語った内容を丁寧に採録した記事です。

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アメリカと北朝鮮の戦争、「負ける」のは誰か?《前編》

アメリカと北朝鮮の戦争、「負ける」のは誰か?《後編》


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そして、2月7日、つまり昨日ですが、朝日新聞出版から文庫本『[新版]西部戦線全史』が刊行されました。これは、10年前の2008年に学研M文庫から出た同名書の誤りを訂正し、一部加筆修正した新版で、第一次大戦の講和条約から1945年のドイツ敗戦までの、ドイツ対英仏米三国の政治と軍事の戦いを俯瞰する内容です。オリジナル版と同様の戦況図100点に加え、4年前にフランス等で撮影した写真(戦場や兵器)も8点収録しています。

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厚さ2.3センチ、あとがきの最後が625ページという、ずっしりした存在感で、中身のたっぷり詰まった本です。戦史の解説が中心ですが、戦間期のドイツと米英仏の関係や、第二次大戦期フランスのヴィシー政府やレジスタンスの説明もあります。価格は、税込み1,296円です。このテーマに関心がある方は、ぜひ店頭で手に取って内容をご覧ください。


今年は、4月に単行本が一冊出る予定(既に校正段階)で、6月前後にも単行本と文庫本を各一冊、秋頃に新書を一冊出す方向で、毎日執筆の仕事に励んでいます。また、本や雑誌記事以外の仕事も、いろいろと予定が入っており、このブログでも随時ご紹介していきます。本年もよろしくお願いいたします。


【おまけ】

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友人の台湾人ゲームデザイナー、鄭偉成氏が刊行するゲーム雑誌『戰棋』の最新号。付録ゲームは、張学良(東北軍)・蒋介石(国民党)・周恩来(共産党)の三勢力で1930年代(第二次国共合作や盧溝橋事件辺りまで)の中国の覇権を争う「少帥」。指導者・幕僚・会議・イベントの四種類のカードを併用する、興味深い内容です。

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また、同時期の上海での国民党官憲と共産党地下組織の暗闘を描くカードゲームも同梱。目次のページには、先日の訪台時に鄭氏と一緒に撮った写真が。謝謝!

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【おまけ2】

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執筆仕事の合間の息抜きを兼ねて、少しずつ作り始めている新作『マザーランド2(仮)』。シックス・アングルズ第9号『ウォー・フォー・ザ・マザーランド』の改訂版ルールをテストするうち、いっそのことフルマップ一枚で全体をプレイできるゲームとして作り直そうと思い立ちました。システムはほぼ同じですが、戦闘結果表や両軍の補給ルールを改訂し、ターン数を減らしてプレイ時間も短縮する方向です。

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